***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

デイサービスの効果。

昨日がケアプラン会議で、週1日利用しているデイサービスの管理者さんも同席の上、まずは女子会(母・私・ケアマネさん・管理者さん)で今までのこととこれからのことを話していた。

途中で混乱している母を見ながらも、言葉を選んで感謝の意を示している顔を1年前は想像することはできなかった。

この間、父は私に命じられた新しい介護保険証と負担割合のコピーを2部、取ってきたのだが、1つが指示した通りではなかったので、再度コンビニへと歩いて行った。私が行こうと思っていたが、「雨だからお父さんが行く」と出かけてくれたので、外野が入らないケアプラン会議を少し勧められた。

 

デイサービスは小規模。慣れるまでに(生活の中に取り入れる)随分時間がかかった。管理者さんも「とても気を遣う方なので、私たちは助かるけれど、ご負担にしないでください。楽しで頂けることが何よりなんですよ」と母に話してくださる。

母は「お昼を頂いた時に”これ、おいしいな”と思ったら、自宅で作ってみようと思うんですよ」と話し、びっくりしたのはこの言葉。

 

「病院が落ち着いたらもう1日、通いたいんです」

 

一同、びっくり。ケアマネさんが「意見書をくださった医師の手書きのコメントにもありましたよ。デイサービスを通じて他者とのかかわりを持っていることが軽快している理由だろうって。」と教えてくれた。

 

父もここのところ忘れっぽくなったのを自覚している。また母が髪を洗いたい時は入浴介助もどきをしているので、彼自身も煮詰まっているだろう。だから少しは離れる時間が必要なのではないか。但し前のようにゲートボールに行くことはできない。何らかの形で社会への父のかかわりを少しだけ元の状態へ戻す時間が、今後の老々介護でも必要なのではないかと考えている。

 

母は電話をかけることができない。かかってきた電話を父から電話を取り次いでもらって話ができる。実家の短縮ダイヤルがまだ、下が引っ越す前のもので(今は固定がない)「かけられないし、かかってこないんだよねえ…」と少し寂しそうだった。

この日の経過報告をしがてら、下に電話を入れた。「まだ決定はしていないけど、月末に行くつもりだから、また、連絡しておくよ」と言っていた。過度に期待をして貰っても困るので、両親には話をしないで帰ってきた。

 

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昨年の夏には何もなかったプランターには小さな家庭菜園ができていた。トマトは母の従弟(68歳)がどどっと送ってくれたもの。てきぱきと切り分ける母の手元を私と夫と父は穏やかな顔で見ていた日。そう、これは父が作ったものなのだ。

 

【Another Story】生き抜けと言ってくれた人たちに感謝する日々。

10年以上前。1年間に2人のママ友を失った。就学前のお子さんたちとはそれぞれ子供を介しての繋がりがあり、今でも最後にあった元気な姿を頭の中に残している。それが夏。そして私自身も2回の大病をしたのも夏だった。

 

1回目に倒れた日は、ママ友でもあり、私には年の近い姪(姻戚)の通夜の前日だった。

鴨居にぶら下げてあった夫と私の礼服・子供の黒い服。でもそれを着て通夜に行ったのは夫だけだ。

私は治療のために、1本の点滴を2時間かけて落とすという急性期治療を3日間受けることになり、子供を同伴していた。一人で歩ける状態ではない。夫が私の病状を話ができない理由はいくつかあった。

・親戚の体裁で集まらなくてはならない。

・何かを信じれば病気は治ると言い張る人たちがそこにいる。

だから彼なりの対応で私への雑音を避けて、一連の式に1人で出かけて行った。

「今は可能性を信じろ!」

実際それは諦めにも近かった。担ぎ込まれた大学病院でそう、教授から言われていたけれど、「やるだけはやりましょう」に従った。あの時諦めていたら恐らく、こうやって文字を打ち込むこともできなかっただろう。

PCは病気の後で覚えたもので、家から出ることがほとんどできなかった当時の私を支えてくれた方が教えてくれた。時間ができた私は当時、CGIのカスタマイズをしてサイトを運営することに生きがいを見つけていた。写真も病気の後に夫がデジカメを買ってくれたので、写真併用のサイトを10年近く運営していた。

 

それから8年くらい経って別の病気が見つかった。この時はある意味偶然ではあるが、やはり大学病院を紹介されて、手術をすることになった。その結論を報せたのは夫とPCを教えてくれた友人で、電話をかけたのが先に逝ってしまったママ友の元住んでいた家の近くで、夕方の夏空がこんなに辛いものだったのかと思った。最初の病気も担ぎ込まれた病院で見たのはこの空だったから。

 

時期を見て手術は早めに入れて頂き、その後の治療を行っている間はパートをしていた。治療費は微々たるパート代で賄えるものではない。貯金を崩して医療費を支払った。そんな間に子供が大学進学の準備をするようになり、思い切って復職をして現在に至る。

 

夕方の夏空がいつもかなしみに包まれているわけではない。

 

そう教えてくれた、支えてくれた友人も生死を分けるような大病をして、一命をとりとめ、今は自分の人生を自由に生きるようにしたそうだ。

 

年齢が年齢だからね。やりたいことをやって本望。でもあなたはまだ、やるべきことはいっぱいあるよ。

 

子供との接し方を教えてくれた人たち。そして今後の子供との距離感をうまくとれと教えてくれる人たち。

親の介護はまだ始まったばかりともいえる。それは私が今、生きる方向に導かれたからできることなんだ。

 


Mark Ronson - Uptown Funk ft. Bruno Mars

ケアマネさんからの電話。

母の介護区分の件諸々で、出先で電話を受けた。

「要介護2で今までと同じだそうです」

要支援だったら(今の母の状態では)区分変更をかけるつもりだったので、その意味ではひとつ落ち着いた感がある。

入浴への不安を言い出したことが決めてだったのか、主治医の意見書の内容は分からないけれど、気分障害と行動のアンバランスが少なくとも同居している(主たる介護者の)父には相当な負担になっているので、週に1回は同じデイサービスを継続できることに安堵した。

 

下にメールで伝えると、「喜んでいいのか複雑ですね。でも変わらなかったんですね」

確かにそうなのだ。要介護状態であることは代えがたい現実である。進むも止まるも私たちにも…そう、母にも分からないことなのだ。

 

デイサービスから毎月、写真が届く。その写真はプランターで育てている作物をかごに入れて持っている母の姿だった。何回見ても、余りにも顔が私に似ていて思わず吹いた。

というのは、母は元々メガネをかけていて(私もかけているが)10年余り前に白内障の手術をしてからはメガネを要しなくなった。先日は「サングラスが欲しいわねえ」と、古いメガネを出して作り変えようと迷っていたっけ。

 

「すっぴんの私じゃないの、この顔は!!!」

私の化粧は余りにも手抜きなので、誰もがほぼ、すっぴんだと思っているし、オフの日までメイクはしない主義だから、実家の近所の方が「お姉ちゃんとお母さん、顔が似てきたね」と仰ることに大きくうなずく証明にもなった。

 

 

kanade15.hatenablog.com

 

介護は昨年の9月から実際にケアマネさんを入れて始まった。かれこれ1年になろうとしている。

子供は当時大学3年生で上げ膳据え膳。授業だ・サークルだであてにはならない(あてにもしていなかったけれど)状態。下宿はこの時していなかったため、夫も巻き込んでの介護生活がスタートした。

年末年始は母が冬季うつになり、今年の1月~2月は仕事を一時減らした。パート繋ぎのフリーターである私には減収になったが、今は「そういう時も出てくる」ことを諦められるようになった。考え方を変えることを柔軟にできる環境下で仕事ができることに感謝する日々でもあった。

 

私が知りえなかった母の生い立ちをせん妄という形で突きつけられるところから始まった介護。

在宅をサポートするには不十分であるかもしれない。それが仕事をしながら親を介護していく40代~50代の介護の限界である。

また、今は親世代が独居(死別・離婚)であり、子世代も同様であることが多いことは行政は理解しているのだろうかと思い始めている。主たる働き手(納税者)の必死さを本当に分かっているのかな、行政は。

孫に対する関心を求めてはいけない。

 

拙宅の子供が多々挫折を経て内定を頂いたことを、実家の両親には伝えていない。下には昨日連絡をして、保証人が必要だったらお願いしたいと言う旨を伝えた。下が就職する時は夫が保証人になった。そのことを分かっているので、快諾してくれたのだろう。

でも「実家に言うのは今度のケアプランの時でいいでしょう。今はとても孫の話どころじゃないだろうし、逆に介護のことで頭がいっぱいの父だから、集中させないとならない」とも言っていた。私も、もし入浴介助を父がしていれば(耳が遠いので電話は全て留守電にしている)邪魔以外の何物でもないので、「そうだね。今度話すよ」とFaceTimeを切った。

 

当の孫は前にも書いたが、大学1年生の冬休みに母から「バイトをしなさい」と説教されて以来、実家に寄り付かなくなってしまった。「冬季うつ病だから」と慰めても、「あれは人に言う言葉じゃないよ」と怒り出す。成人した翌年はこんなことを言っていた。

 

同期のおじいちゃん・おばあちゃんは成人を意味あるものとしてくれたよ!

お祝いに高額なものを買ってもらった云々…私は「うちも私大できついのは分かってるでしょう?年金で暮らしている今は無理なんだと思わなきゃ」「他の子の祖父母だって同じじゃないの?」とミゼラブルなことを嘆いてばかりだった。

 

孫の名前を忘れているわけではない。でも関心は自分たちの暮らししかやはり無理なのだ。多くの高齢者と接する仕事の日こそ痛感する。小さな世界で自分たちの立ち居振る舞いを考えるようにシフトしてしまうことなど日常茶飯事である。

 

私は専門職なので、企業の診療室(というものが昔はあった)以外はブッキングすることはそれほどなく、2件目で採用されて10年勤めた。ブランクを経て、復職後は2件の登録した求人サイトで探して、今に至っている。

下は就活をしている。理転就職だったが、配属先は本社ではなく地方の社員寮だったので、家財道具を両親が買い、米やら何やら送っていたことを聞いている。(下の頃は売り手市場だった)

 

今、実家の周りでは私たちきょうだいが一番の年長者だ。孫が一番大きいのもそうだし、親の介護ということも先頭を切ってしまった。そうなった時にとても孫のことは考えに及ばないということは多分、近所の方は分かっている。

 

いつか子供の心がもう少し落ち着いたら、双方30分が限度だと思うけれど、顔を見て欲しい。

カラコンを入れていても、口が悪くても、理論的に物事を言うようになっても、あなたたちの孫は一緒に海辺で遊んでもらった時と内面はそう、違いはないのだから。

 

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:::2017.06.17 大通公園バラ:::

 

【スピンオフ】札幌2泊3日・食事の話。

ぼっち旅行(学会だけど)のうちの2泊目に知人が札幌に来ることが分かっていた。翌日は私よりも早い飛行機で帰るので、夕食のみ一緒にできる。

 

ところがここで大問題。何を食べるも何もない。双方好き嫌いが多すぎる。

ジンギスカンと牛肉がダメな人(私)

・貝がダメな人(知人)

・鶏の半身が苦手な2人

 

何を食うのだ!!!

 

そして実は前日のぼっち飲み。お店がお祭り帰りのお客さんで入れなかったので、予約を入れておいた。

 

 

どうも私、旅先でのパツパツな予定を優先して、食事をすることを余り考えない性格らしい。

大体行きのお昼は成田のローソンでおにぎり・翌日のお昼はだけは穴子寿司のテイクアウト。帰りは新千歳のローソンでサンドイッチ。

www.kani-ya.co.jp

 

しかも船橋東武に期間限定で出ている( ゚Д゚)(2017.06.25現在)

 

2日目の夕食アルバム。食べかけもあるけど💦

 

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中生3杯は当たり前だけどここまでで終えて、知人と別れてお宿でまた缶ビールを飲む私。

家にいるといつ何時「車を出して~」と言われるか分からない生活を3月までしていたため、ペーパードライバーもスタンバっておかないとならなかったので、外での解放感は嬉しかった。

(言い訳)

 

次回は試験なので飲んでいるわけには行かないな…1日ずらして行こうかな…。

また北海道へ、今度は家族で出かけたいので、お仕事、頑張ります😃

 

【スピンオフ】札幌2泊3日・お土産の話。

仕事を休んで出かけているので(相当迷惑をかけたのは土曜日)パート先それぞれにお土産を考えていた。また夫がお土産を頂くので、出かけた私がお返し的に彼の会社の人にも買ってくることになるので、オンラインで数を頼んだのはこちら。

 

www.rokkatei-eshop.com

 

こちらを出かける前の11日に注文し、18日の遅い時間に着くようにした。

たまたま下宿から戻っていた子供。「自分の分は?マルセイバターサンド!!!」

別便で送料を払って送った(-_-;)

 

他の何人かは現地調達。帰りの新千歳空港で買うことにしたのだが…ROYCEやLeTAOは都内にも取扱店が多い。空港にあった大泉洋さんを見て決めた。ぴったんこカンカンで安住アナとのやり取りを見ていたのもある。

 

www.kitakaro.com

 

こちらで買ったのは開拓おかきとバームクーヘン。1つはバイト先に送り、他は手荷物で持ち帰った。

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最終日に小樽に行った理由は、27年前に時間がなくて(札幌~洞爺湖~函館2泊)北一硝子へ行こうというリベンジ(笑)

こちらで買ったのは醤油差し。

www.kitaichiglass.co.jp

 

自宅用と、実家の両親に買い求めた。両親は食べ物は嫌がるので、飾り物でも構わないと思った。小さくて美しい瓶は勿論、機内持ち込み。

 

27年前は確か、お土産を現地から自宅に送ったり、仲人や実家に送ったんだよな…と思い出しながら、オンラインが普及した便利さを改めて感じていた。

【スピンオフ】札幌2泊3日・飛行機とホテルのお話。

旅程としては2日目の学会がメインになるが、とんぼ返りは流石にできない場所なので、仕事を2日休んで出かけてきた。

羽田よりは成田の方がアクセスが良いため、飛行機は成田発着。

 

ここで大事件。荷物に貼るタグを渡されてしまい、預けた荷物にはないと大騒ぎ。(私のせいだろうか、未だ疑問に思っている)キャリーについていたはずの鍵は恐らく確認のために切ったのだろう。

新千歳に着いた時に外れるわけはなく、ちょっと「…」だった。

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hands+のキャリーケース 37リットル ポケット部には保護材が入っていてノートPCを入れて行った。2泊用だけど帰りは閉めるのが大変だった。大型機だったら機内持ち込みOKのサイズ。

 

早割でJALANAをとれた。ただ仕事の後で羽田に向かうのもきついことと、帰りを成田着にするとそれこそまたとんぼ返りになるダイヤのため、LCCしか取れない状態だった。

 

今回、泊まったビジネスホテルは、

www.superhotel.co.jp

 

連泊で26600円。こちらも早めにとっておいた。

まさか札幌のお祭りがあり、翌日にミスチルのドームツアーがあるとは、とった時は全く知らなかった。

 

会場へのアクセスが良かった(実際はタクったけど)ことと、かつて他のところでスーパーホテルを利用している友人からの勧め。温泉は男女で時間が決まっている。

ホテル内でWi-Fiを使って、持って行ったデジカメから取り込んで写真の整理。Photoshopこちらには入れていないので、あくまでも取り込んで、他のソフトでリサイズしてブログを更新していた。

 

ここで着ていた洋服と持って行った洋服の実際の話。

・1日目=半袖のVネックニットとジョガーパンツ。ロングカーディガンはバッグの中。札幌駅についてから着こんだ。

・2日目=長袖のVネックニットとワイドパンツ。昼間はカーディガンはいらなかった。

・3日目=長袖のスキッパーシャツと初日に来ていたジョガーパンツ。機内では不要だったが成田が思ったより寒くて、手荷物に入りきらなかったため、キャリーが来るまでは震えていた(笑)

 

それ以外にはエアリズムインナー・パジャマ用としてのスポーツウエアとZARAのMA-1。これは夜に大変重宝した。ウルトラライトダウンは結局、着なかった。

 

トップスはローリーズファームでパンツ類はUNIQLO (((o(*゚▽゚*)o)))

 

余談だけど、平生私はPASMOを使っている。小銭が面倒なので買い物もPASMO。でも誰かに「Suicaの方がいいかもしれない。オールマイティーに使えるから」と言われて、Suicaを持参した。

大抵のところはOKだったけれど、とあるファストフード店で「JR系でしたら使えます」と言われたことを思うと、友人の慧眼は流石だと思った。