***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

母からのリクエスト。

先週電話した時に父がまた風邪をひいていたことや、インフルエンザの予防接種は12月まで受けられない(後述する理由がある)ので、「加湿器を使ったら?」と母に言った。「重くてタンクに水が入れられないし掃除してない」とのこと。2階建てなので2つ必要だが、取り急ぎ勤務に行く前に某量販店に入って、容量は小さめかもしれないが、寝室を主にした加湿器を選んできた。

 

 

 

木目ではなく、私が好きな水色だが、送料込みで5500円くらいだっただろうか。持ち手があるのでタンクを移動しやすいかなと思ってのチョイス。2階にもトイレがあるのだが…私、余り実家の2階には行かないので、洗面所があるかどうかは知らない(;´・ω・) 急な階段を昇降してタンクだけ持てばいいようにしつらえた。届いたという電話は父から来たが、使い勝手に関してはまだ聞いていない。来週まで待って…もしかして私が説明しなきゃならないかもしれない。

「お金いらない。それ、あげます」と父に大声で怒鳴って(これが普通の会話)電話を切った。使い勝手がいいのならこれをもう1台、買ってもいいかなと思っている。

 

インフルエンザワクチンが不足していて、我が家のかかりつけでは入荷予定が分からないと言われている。私は11月の早いうちに予約をしたが、夫はこの状態では接種できなくなるので、今月、一般枠で予約をした。子供は昨年から自宅近くの整形外科で接種している。今年はここも「昨年接種した方に限る」となっているので、子供は接種資格があった(受験じゃあるまいに…)ので、残すは夫のみだ。

 

実家の場合ややこしいのは、高齢者なので市内の医療機関で接種可能なのだが、かかりつけているところが市外なので、償還払いで受けるしかない。申請するのが今は面倒なので、市内(実家の近くには内科はない)のバスで行ける内科に予約をしたのだろう。

母が喘息を持っているため、加湿器は必需品である。家を建て替えた時に結構大型のものを購入したのだが、あれから10年。持てるわけないよね…ということで、11月、相当頑張って仕事をしたご褒美は両親へ少し、おすそ分けをしておいた。

 

う~ん…使えてるかな?取説、読んでるかな…。

ひとつの選択。

あっという間に介護に関わるようになって2回目の師走を迎えるが、私はひとつの決断を出し、了承されたのが昨日の話だ。定期のバイト先を1箇所減らすことにした。下がよく言う父の老いに対して、近くにいる私が対応しようと決めたから。それは夫が望んだことでもある。介護だけではなく自分の身体も考えろと再三にわたって言い続けた。

収入のことを考えつつ、私自身も持病の通院に行くことが難しかった。1か所の勤務体制を変えて貰ったが、疲れがとれないまま流されるように仕事をしている状態では家事すら満足にできない。

決定打は、余程のことがない限り洗濯機を回さない夫が「量が多かったからやっときました」と休みの日に洗濯をしていたことだった。この日彼は主夫に徹していた。料理は頼むが洗濯機までは頼むのはまれ。干すのも頼まない。(夫は腕が余り上がらないので)「ありがとう」と言いながらも、ずっと考えていたことを勤務先の方に伝えない限り先は見えない状態だった。

 

母の頭の中は恐らく60代後半なのではないか。実年齢よりも下に自分を置いているような話し方をすることが多い。自分が老いたということよりも体調がよくないことで「これはいつか治る」と、自分が認知症だと知りつつ、実は母は認知症を見たことがないので、曖昧な心の移ろいを父に八つ当たりすることもしばしばだ。じゃなかったら「お父さん、年取ったわ」などと言うわけはない。

 

来年の3月からは基本的に週に3日半。時々半日の仕事が入る体制になる。祝日がある週もこれは変わらない。それは我が家の生活のためでもあるので、両立ができる最低限の仕事の体制を整えた。雇用が継続するかどうかも不確定なダブルパート生活(トリプルか)なので、先を見据えた行動も必要になってきたということだ。

 

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===スカイツリーのイルミネーション===

 

介護サービスに関わる仕事の経験と周りの介護をしている方の話を聞くと、老老介護には必ず限界が出てくる。私が危惧しているのは父の体調があまり良くないこと。昨日、早く帰宅したので21時になる前に電話をかけてみた。電話口の父はまた風邪をひいていた。寝たい時もあるだろうと思う。何とか21時過ぎまでは電話口にいようと頑張っていたのが伝わってくる。

 

父に何かあった時のことしか今の私には考えられない。まずは母を病院に連れて行くことからはじまる。私の予定で変えて貰うことはできない。デイサービスの利用者さんの中には独居で週2日通っている方がいて、送迎の方が施錠をしてくれるそうだ。

介護のことできょうだい喧嘩になることは当たり前のように見てきた。今は何も下には言わずに、黙って自分の身体を見つめながら、介護体制を整えていくしかない。

 

子供よ。今は自由にやっているかもしれない。それもいい。私はこの先は親に関わっていく。

あなたに対してやるべきことは果たしたと思っている。これだけはあなたに言っておこう。

 

顔でも出すかな?とLINEでは語れる。実行できないのなら言うんじゃない!

 

私の両親は自分たちを支えるだけで精いっぱいだ。あなたの周りの祖父母たちは孫に課金したり色々尽くすこともできるだろう。正月の来訪を断った理由が母の精神状態の悪さであって、確かにあなたに嫌な思いをさせたかもしれない。

 

自分だって遊びに行く時は家族を無視しているでしょう?何が違うの?自分のことを考えたら家族は見えなくなる。そしてこの小さな家族は必死に今までを生きてきた。いい思いもあった。

あなたのお父さんも老いを迎える。私も老いる。時は確実に過ぎていく。せめて抗うとしたら私自身の頭の中を前向きにして対応するくらいだよ。

私が見守っていくために必要なこと。

父はしっかりしているのだが、それでも今日、母を病院に連れて行き、自分が風邪を引いたからかかりつけに順番を取りに行き、受診するために3回もでかけるというのは、80歳ができる技ではない。私だってせいぜい2回が限界だ。ケアプラン会議に私が30分前に実家に行くのを分かっているから敢えて今日、母を自宅で待たせて出かけたようだ。

 

ここ数日、ちょっとした騒動があったらしい。生協の利用代金をクレジットカードで支払っていたため、その残高が不足してカード会社から連絡が来たそうだ。勿論、その料金はコンビニで支払ったが、母が言うには「確かにクレジットカードがあればそちら登録しますということは言われたんだけど…私もよく覚えていないのよね」とのこと。今までは残高不足にならなかったのだろう。流石の私も母のクレカの口座がどこなのかは知らない。

先ほど利用している生協を見ると、クレカでも口座引き落としでもOKだということが分かった。最初に来た営業(というのかな?)の人は口座引き落としにしなかったのだろう。父がその後始末に奔走して一応、問題は解決している。

 

お金に関すること・それにまつわる印鑑云々の管理に関して・或いは保険証等大事なものがある。それをこれからは私や下が分かるようにして貰わなくてはならないという現実にぶつかった。但しまだ下には話をしていない。答えが分かっているから。「成年後見人をつければいい」と。

他人が家に入るのを嫌がる両親にそれをあなた、言えるの?

権限的には下の方が力があるが、そう簡単には行かないだろう。

 

そして母は父が戻ってくるまでの1時間余り(うちケアマネさんを交えては30分)の女子トークで本音を全開に話していた。

 

父が忘れっぽくなったことが何よりも心配で、自分では何もできないことへの不安がある。それは何となくケアマネさんも感じておられて、目交ぜをして母の話を促している。

「お父さんが隔週土曜日の病院を”調子はいいようだから土曜日は休まないか?”って言ったんです。それだけ疲れているってことですよね…」と涙ぐむ。

疲れているのは当たり前だと思う。小学生の見守りのために朝、5時に起きて7時前には交差点に立つのが父のライフワークで、私もケアマネさんもそれだけは可能な限り父にやって欲しいと思っている。母は7時頃起きる。洗濯物は父がやるそうだ。それだけでも相当な仕事だと思う。

だからTVの前でうとうとする時間が増える→それが面白くない。

 

この循環と母の不安を解決する方法は私がやはり実家に行く回数を増やすことだ。

それはジムのメンバーさんからも介護の色々なことを教わってきた。

「絶対週に1回は来なきゃだめよ。あなたの好きなことをする時間は、仕事と介護と家事だけではなく持たなきゃいけないの!」

 

それだけでもないのだが、来年から少し仕事に行く日を調整することにしようと決めていたところだ。

・自分の趣味の時間

・両親と過ごす時間

・仕事や介護をするためにもケアしなくてはいけない自分の身体の時間

・家族と過ごす短いけれど大事な時間

 

私の勤務地は医療従事者不足に悩まされているところが多い。10月から勤務日を調整し始めた。そして再度、見直す必要が出てきたということで、実家に行く前、ファストフード店で手帳を見ながら鉛筆で12月16日以降の予定を書いていた。シフトは希望制で入ることができるところもあるし、手が空いていれば来て欲しいとありがたい言葉を頂いているところもある。

社員さんが入ればまた、変わってくるのかもしれないけれど、在宅介護における予想もつかない問題に対して向き合うのはやはり家族であろう。それが比較的近くにいて、介護のことに少し詳しい娘である私になったのであれば、それも受け入れることはできる。

 

この記事の終わりに。

急に要介護状態となって、在宅をするには心構えが必要だし、予想外のことがしばしば起こることに対して、騒ぎ立てるのはよくないことを家族が掴むまでの時間も家族には必要だ。

ようやく私自身が仕事の中でも要介護状態の方との触れ合う経験を積んで、温かさを貰って、母と向き合うことができるようになったのだ。

1年近く前に仕事を通じてたくさんのお話を聞かせてくださった利用者さんたちの言葉を、今になってかみしめている。

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ホソバリンドウを添えて。

 

 

 

 

車を買わなくてはならないけれど…。

来年、我が家の車が車検なので、ディーラーからやたらと電話が来ている。最初は車検を通すつもりでいたのだが、大きな勘違いをしていた。

2004年製じゃない?これって13年目?次は毎年車検!!!

今の車は不調ではないのだが、スライドドアなのでバッテリーを食う。それにもう7人乗りはいらないだろう。

 

今は子供も乗りたいというので夫が横に乗って教えている。そして我が家の車は基本的に子供の主張を組み入れて買っているので、子供に聞いてみた。

「車を買い替えるとしたら何がいい?」

「コンパクトカーでいいんじゃない?」

欲しいという車種2つを調べてみた。

 

TOYOTAなんだけどね。

 

toyota.jp

 

 

toyota.jp

 

友達が残価設定型で買えばいいと教えてくれたけど、夫の年齢と雇用形態を考えると、残価設定型が通るかどうか分からない。

今の車は家じゅうのお金をかき集めてキャッシュで支払った。自宅のローンはあと1年くらいある。でも終わってから買うという事態ではない。

 

子供が「そんなにするんだ~」と言う。

「うん。1年間の授業料と同じだよね」大学の授業料は10月に(一応)終わっている。

今買うとしたら夫名義で買うしかない。しかし奨学金なしで私大理系学部に行かせたため、実際に貯金はない。というのは夫が長くかけていた養老保険がそこに充当されたからである。

 

正直車のことも考えられなかった4年間。それでも2人で可能な限り仕事をしているが、はぁ…もう少し車のことに頭を向けられたら良かったのかと反省。

子供が社会人になる来春まで待てない尻火状態で、夫の通勤手段は車である。私の名義で買うこともできるが、何せフリーターなので安定した収入はない。

 

これで家電が壊れたらもうアウトだ(;´・ω・)が、結構皆、車のサイトを見て楽しんでいる能天気な家族、それが我が家だ。

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【スピンオフ・浅草ささっと歩き】

結婚して27年が過ぎた。歳の差夫婦はずっと休日がすれ違う方が多いながらも、私が休みを選べるので、夫の公休に合わせて、双方好きだった神社仏閣巡りをしていた。

今、夫も私も非常勤となり(夫は同じ会社)ついつい休みが違うと家事を頼んでしまい、仕事を入れることで、彼は孤独になっているんじゃないかと思いはじめた。同僚と旅行に行くこともなく、年に1回のクラス会と年末の友達との忘年会が楽しみである。

 

そんな訳で計画を立てたのは本川越だったのだが、ここで珍事が勃発。子供が「代引きの荷物がくるから27日に受け取って欲しい。28日にバイトで使うから」とLINEで伝えてきたため、寝しなに夫に聞いてみた。

 

門前仲町か浅草にしようと思うんだけど、どっちがいい?」

「浅草!20年以上行ってないから」

子供が生まれる前に2回ほど、夫と出かけている。私はスカイツリーができた後で1回行っている。

ということで、浅草に決定した。

 

www.tokyometro.jp

というものがある。私はその手前まで定期を持っているが夫はないので、その路線の切符を含めたものを買って、いざ、出発。夫はついてくればいいだけで、私は座るとすぐ寝るので、「日本橋で起こして」と申し渡して爆睡。日本橋で銀座線に乗り換えて浅草へ。

 

修学旅行に観光客に…良い天気で暑い位だったので、平日ながらごった返す浅草寺。お参りをしてから、食事を少々悩んで

magurosoba.jp

さんに入り、珍しい食事だがあっさりとお蕎麦という願いは叶った。

(食べ物も結構考える私)

 

その後、スカイツリーを見た夫が「あそこなら歩けるでしょう?」と頑張り、とことこと隅田川を渡って15分位、のんびりと歩いて到着した。

 

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勝海舟像は隅田川沿いにある。仲見世が混んでいたのでこそこそ裏通りを回ってお土産をいくつか買った。

スカイツリーは当然ながら大混雑。「おれ、もういい」「いやいや、せっかくだからよく見えるところに行こう」と、外に出て見上げると圧巻な場所に連行し、再度確認した。

「上には行かないのね?」

「ここでいい!」

ソラマチで自宅用のお菓子を買ったりして帰途につこうとして、瞬間悩んだ。

「うん?都営地下鉄で帰るのはどこだっけ?」昔出かけた時の手段は都営地下鉄経由だったのだ。

いや、東京メトロだ。でもここからまた浅草まで歩く?

(荷物は私が持っている)

 

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忘れてました。これで1駅行けばいいのです(笑)

 

昔の街並みを、神社仏閣を、参道を歩くこと。夫は成田山は得意だけれど、それ以外は殆ど知らない。

何度も私に「今日はありがとう。久しぶりに出かけたなあ」と言う夫は団塊の世代だ。

【Another Story】(幼稚)園活、しましたよ。

子育てをしている時にどうしても母に来てほしかった時がある。それは幼稚園入園に際することだった。一応打診したのだが、うつ状態だったので無理だと判断した。夫の協力なくしてできなかったことなので記しておこう。

携帯を主婦が持っていなかった時代だから、家電が全てだった。今ならLINEでできるのに(笑)

子供が通った幼稚園は募集定員が100人だった。そのうちいわゆるきょうだい枠が半数近くあるということで、第一子のサークル友達や公園友達は戦々恐々としていた。これは子供の年で、翌年の第一子枠は更に少なかったと聞いている)

家からは近い。願書は余分に配っても10通らしい。これは転勤も加味してのことだったのだろう。何にしても願書を貰えなければ入れない。前日の公園で、子供たちは元気に・母たちはやや重い顔で相談をし、サークルではない仲良しのママに電話番号を聞いて順番を決めて連絡を取ることにした。

 

予定では朝6時半に並べばいいということだったのだが、たまたまゴルフに行くお父さんが回り道をして幼稚園を見に行ったらしい。「うちのパパが中で待ってるって言ってるからもう出たほうがいいよ!」連絡は6時過ぎ。当然私は化けている場合ではなく、先に起きてスタンバイしていた夫に「私は次の人に連絡をするから先に出て!」と叫び、幼稚園まで行って貰った。

ママたちと夫は世間話もするような関係(公園に連れて行ってくれたので親しい)だったので、「◎パパ、お休み取ったんですか?」「ううん。10時から仕事にして貰った」など話していたらしい。

実はこの日と願書提出の日。我が家以外のおうちはおばあちゃんが子供を見に来ていた。中には乳児が第二子というお母さんもいるので、それが普通だったのかもしれない。流石に朝6時半に子供を同伴している親はいなかったそうだ。

 

願書の配布は9時からだったので、子供はすでに7時前に起きていたから「お父さんと交代に行こうか?」「うん!」8時に2人で幼稚園に向かい、夫と交代した。その時のことを、入園して2年間同じクラスだったお子さんのお母さんが後で教えてくれた。夫は舞い上がっていて気づかなかったそうだが、夫の会社に一時いた方が同じ場所にいて、「声をかけていいものか…迷ったわよ」と。その方もおばあちゃんに来てもらって遠くから駆けつけて願書を待っていたそうだ。

7時を持って配布定員が切れた。無事にサークル・公園仲間全員が願書を頂いて、子供は遊びたそうな顔をして園庭にいる1つ上のお子さんを見ている。周りのお母さんが「今日は雨だから、お買い物に皆で行こうか?」と声をかけてくれて、泥だらけは回避できた(-"-;A ...アセアセ

 

願書提出の日はもう少し遅かったのだが、やはり並んだように思う。その日もおばあちゃんが来ていた子が殆どだったが、うちはあくまでも時差出勤で願書受付をしてから面接と制服の採寸があった。

ホッとした~~~~~~~~~!

 

幼児サークルでは3年保育の子が先に辞めていく。夫が通わせたい幼稚園として選んだのがこちらで、授業料が少し高いので、賃貸に住んでいたが、金利が安かったので幼稚園に近い物件を買い、ローン生活になった。それでも家賃よりローンが安かった頃の話。夫は子供と遊ぶ時間を長くしたいので2年でいいと決めていたそうだ。

 

願書を貰う年の7月に、サークルを終えてからぞろぞろと幼稚園見学に親子で行った。園では歓待してくれて、上の子が通っていたお母さんは話が盛り上がっている。遊具だらけの天国に来た子供たちはもう、手の付けようがないほど遊びに夢中になっている。引きはがす方が大変だったが、インパクトはつけておいた方がいいらしい。その後、園の運動会に参加して、願書配布の日を待ったわけだ。

 

実際入園して、子供が楽しそうにしているのを見ながら(送迎はバスではなく徒歩)1つ上のお子さんのお母さんがこんなことを言っていたのが印象的だった。

「ここでママ友ができる人もいるし、できない人もいる。自分の友達を探すんじゃないのよ。子供が自分の友達を探し、時には喧嘩をして、育っていく場所だから、割り切る方がいいよ」と。

そう考えると、入園前の時からその準備は始まっていたということなんだ。子供が生き生きとする場所を探したら(うちは本人からの友達が行くというノリが強かったが)少し親が離れなきゃいけないんだ。

確かに子供は後追いもせず、むしろさっさと帰れ的な顔でいたので、「サラリーマンのような幼児だ」と、感服していた。

 

幼稚園から中学まで一緒のお子さんはかなりの数いるのだが、現状としては中学の部活の友達のママたちと、高校1年生の同期の仲間のママくらいかな。親としての交誼があるのは。それもイベントの時だけだし…今は皆、仕事をしたりして会うこともないけれど、園で得たのは実は同い年の親御さんよりも1歳上のお母さんとの今でもある立ち話の時間だろうか。

 

色々なお付き合いがある。乗るも乗らないもその人の自由。無理して集まりに行くことはない。

そう開き直れたのはこの時だった。

 

 

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担ぎ込まれた病院に幼稚園のクラスメイトがお母さんといた。高級メロン頭で。しかも子供と2年間、喧嘩をしつつも仲が良かった子だ。

その方こそ、夫を知っている方で、体調がものすごく悪そうに見えた(実際悪い)私にこう言ってくれた。

「預かろうか?」

「多分ね…夜遅くなるからいいよ」

その翌日、高級メロン頭の同級生も病院に来ていた。隣の科だったのだが、「お子さん、見ててあげるから点滴をしてきて」と、お昼まで買ってくれて長い待ち時間を過ごしてくれた。

病気で辛いことよりも、うれし涙が出てきた。

その年、子供がどうしても行きたいというので運動会に連れて行くと、その親子も来ていた。

引っ越しすることが決まっていたので、最後の幼稚園の運動会観戦だったそうだ。

 

離れた場所から「元気になった?」と口が動いている。私は〇と手をあげた。

幼稚園をここにしてよかったと思えた瞬間は、卒園後に現れたという不思議なお話。

 

 

 

「あなたに電話をしても話ができない」

母、ちょっと心が落ち気味で、持参したとらやの羊羹を「何だか血糖値が高いらしいのよね」と言ってそのまま包みに入れた。父が見せた検査結果は血糖が少し高いけれどHbA1cは正常値。

「喉が渇く」と(また)内科の医師に訴えると「糖尿かもしれない」と言われたとか。今月、年に2回の採血をしてきたらしい。

この先生、いい加減、母のことを理解してくれないかなと思う。春先にあった出来事、どう思っているんだろう?

 

kanade15.hatenablog.com

 

父は薬を増やそうとすると頑として「食事を見直します」と言い切ってくれる。服薬の多さでおかしくなったのは、母の肝機能・腎機能が老化で低下しているのに出しすぎたということなんだけど?

また耳鼻科で「鼻水が塩辛い」と言ったら、大学病院に紹介しようかと言われたことで父が不信感を少し持っていることも分かった。

口腔粘膜が敏感なんじゃないかな。それは心模様が荒れてくると、最初に出るのは口腔に関する不定愁訴からだったから感じること。唾液をティッシュに吐くのが母が心を病んだ頃からの常態になっている。それで胃が痛いと訴えたので、父と私で「唾液は消化液だから飲み込んでいい」と、ケアマネさんがいるところで話すが「気持ち悪い」のだそうだ。

 

口腔内が乾燥しているわけではないのにマスクをして寝る夫婦。分からぬことばかり。これも老いのひとつなのだろうか?商売柄色々な方を見ているけれど、母のような訴えをする方も高齢者だとたまにおられる。何がその人に重要かは分かっているし、ご本人も同じだ。

話し相手が欲しい。色々な声を聞きたい。

それをしなくてはいけないのは家族だ。市内通話で話せる娘とは私のこと。仕事に行けば帰りが遅く、午前中は出勤時間を見ながら電話を切るタイミングを計り、それを母は察知する。何よりも話したいのは夫である父に対する不満や心配やらであって、父には聞かれたくないから、私が仕事から帰ってきて電話をすると叱られると思っている。

 

幽閉された自宅での生活ではあるが、デイサービスを増やす気持ちにはなっていない。

日常生活の中で子供たちと過ごす時間が欲しいという希望を叶えてくれ=もう少し訪問してくれということだ。

ちょうどその話をしている時に子供からLINEが来た。「そろそろ行こうかなあ」おばあちゃんが調子が良くないと私が打った返信。

そういえば母がこんなことを言っていたっけ。「大学が終わったらそれほど働く必要はないでしょう?」それは違うよとは言えない。それこそ電話を切られるだろう。

 

団塊の世代が75歳になる2025年問題を踏まえ、高齢者よりは未来への投資と謳っている今。介護・自分の身体・子育て・仕事…家を振り返る余裕もなく、買い物だってそうそう行けない状態で、自分の老後は自分で始末しろという世情を考えただけで頭が痛くなってくる。

バブル期の貯金は皆、使い果たした。この先、夫の仕事も私の仕事もどうなるかは不透明。

されど両親がいて私がいる。そう夫がいつも諭してくれる。「できることはしてあげよう」と、何度も繰り返す。

 

選挙がある。政策はざっと聞いた。その上でひとつだけ言いたい。

誰もが生まれてきてよかったと思える日本にして欲しい。

 

ケアマネさんが私の様子を見て、時間のある時に顔を出してくださるそうだ。

感謝に堪えない。彼女も同世代。色々大変だろうと逆に察してしまう。