***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

お彼岸に思う。

夫の父は1989年・母は2011年に他界している。県内に墓所があるのだが、高速を使わないと時間がかかる。また夫の休みは勤務表なので、元より「彼岸のあたりに…いや、行ける時に行けばいいよな」と長年、春と秋のお彼岸は、私と休みが合えば一緒に出向いていたし、ひとりで出かけている方が多かった。

 

2014年の5月に夫は肩関節を派手に骨折して、観血的整復固定術を受けた。左腕が(今は)50%くらいしか上がらない。重い荷物を両手で持つことはできなくなってしまった。執刀医に「元には戻りません」と言われて、彼は諦めかけたことがある。

 

高速運転。

 

私は80%ペーパードライバーで、目が悪い。車庫入れを大の苦手とし、高速教習を受けていないMT車しか免許がない世代。買い替えた時にETCになって、1回だけ空いている区間を運転したことはあるが、墓所までは飛ばす車が多くて怖くて運転する自信がない。

80%というのは子供を駅まで迎えに行く・普段車が余り通らない道幅の広い道路を運転できるというレベルで、夫は助手席に乗っているのが大前提である。

 

しかも墓所への電車でのアクセスが非常に悪くて、近いバス停は2時間おき。周りに店はなく、バスターミナルまでは3キロくらい歩かないとならない、車がないと生活できないところ。

 

実は3か月前。夫が思い出したように(今頃か?)「ETCが使えないんだよね。現金で払ったけど…」と言い出した。最後に使ったのが1年くらい前らしい。その時のことを話している。メーカーに聞くと「それは機械の故障だと思います」と言われて、「どうする?」と夫に尋ねた。

 

「修理はいいよ。もう高速で墓参りには行けない。俺、怖いから」

 

 

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夫が手術中の大量出血とその後の半年のリハビリ途中で仕事に復帰し、現在に至る。当時大学1年生だった子供を抱えて、もし何かあったらどうなったんだろう?墓所だって私の一存で決められたのだろうかと思う。何にせよ、夫は時間がある時に両親の墓参りには行きたいという顔つきで花を見ている。

 

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私の実家の墓所は他県だが、交通網は便利なので、時間と気合いさえあれば行ける。

何度も書いているが父には祖母(実質は伯母)の遺言通りに建てたところに齢80で行くことは苦行になっているだろう。

 

今年のうちに夫の両親の眠る墓所に行こう。人を思う心は時期とは関係がない。

せいぜい私ができるのはこしあんのおはぎを買ってくるくらいだから。

 

 

 

 

デイサービスでの敬老の日。

昨年の今頃からケアマネさんと相談して週に1日のデイサービスを利用して10カ月が経とうとしている。先週、敬老の日お祝い御膳を利用者の家族も共に頂けるということで、今日、夫と共に通っているデイサービスに伺った。

 

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10カ月の間、母も奮闘した。疲れるまで頑張ることと、自宅に戻ってからの反動をようやく解決して、楽しいということを伝えてくれるようになった。

招かれた時間は利用者さんたちの様子が見られる機会でもある。母は声をかけられると「はあい」とささっと立ち上がって、転ばないように職員さんに背後で見守られながら厨房へ入って、これまた楽しそうに盛り付けをしていた。

 

私、不覚にも涙が出てきた。ステンレスが光る厨房で過不足なく取り分ける母の姿は、曾祖母の家に行った時に厨房を手伝う母の姿を思い出させたし、正月に新年会を自宅でやっていた時(建て替える前の実家)は私が来るまではキャベツを刻み、他の料理の下拵えをして「あなたはいつものエビフライを揚げてね」と命じてから、子供や夫と歓談しにリビングに向かったこと。

叔父が「姉さん、少し座りなよ」と語りかけて、バックヤードではエビフライを揚げる(衣は母と下夫婦が付けている)私は1時間以上かけて全て(何本あったのだろう…)揚げ終えて、並べるのは母がうるさいので「お母さん、終わったよ~」と叫んでキッチンに戻す。

 

自慢じゃないが本当にうるさい。食べ物は目で美味しくという人なので、しまいには「あなたは雑だから私がやる」「じゃあ皿洗いする」そのうちビールを飲みながらお燗番になることだけは許可してくれた思い出が頭をよぎっている。

夫も「ここでは楽しそうだね」と喜んでいたのは同じ思いを抱いたからかもしれない。

 

ご一緒したのは母とよくお話をする利用者さんのご家族で、一番うるさいのが例によって私(-_-;)

母の隣に行って「今日は張り切ってます?」と聞き、他の利用者さんに「いつも母がお世話になっております」と申し上げると、「お母様とそっくりね、お顔が」と笑いを買う。「ここでは上品にしなきゃ」と焦っている間にお食事の準備ができた。

 

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ちらし寿司を主に、栄養バランスを考えた御膳だった。揚げ物はない。夫は黙々と食べて、気づいたら完食。私のなますを半分渡すと、「このなますはお母様が作ったんですよ」と教わった。どうやら夫(若い人ではない)は会社のお弁当が揚げ物が多いので、高齢者向けのお弁当が余程美味しかったようだ。私も苦手なものはあったけれど、残さず頂いてきた。

 

食事が終わってから、施設長さんに3人で写真を撮っていただいた。母は奥にいて歩いて指定された場所に来たのだが、足を引きずっていない。「お父さんに対する当てつけかもしれない。ここでは足は痛くならないもの」本音が出た!そこは頭の中にしまい込んで、思えば母と写真を撮るのは10年以上前じゃないかと思い、口角をあげて写真を撮っていただいた。

 

楽しい時間は気づきの時間でもあった。下にスナップを送ったレスがそれを示しているだろう。

 

「ここでは一番ですからね」

 

さて。配偶者である父のことも考えなくてはならない時期に来たようだ。

 

 

何かあった時に備える老夫婦。

ケアマネさんと私で計画していた、デイサービスの日数を増やすことは現状では無理だと両親ともに言われた。

・母の筋力が落ちたことと、父も前ほど身体が動かないので、夫婦で散歩をして鍛えたい。

・通院との兼ね合い。これはデイサービスの翌日と翌々日が通院になってしまうので、出かけることに身構える母が、もう少し今の生活に慣れるまでは無理だと話した。

 

でも多分、このまま週1回が精いっぱいなんだろう。

そういう感触を掴んで来た。

 

私も下も父の老いは感じている。当然、当の両親はまさに体感している。

ふと母がこんなことを言いだした。

「お父さんに何かあった時、電話はかけられない、お金がどこにあるか分からない」

何よりの不安だと思う。

その場では言わなかったが、私に連絡をすぐにできるかどうか。ここが何よりの問題になる。

自宅の方にはかけられるだろう。携帯は難しいかもしれない。留守電に入れるなんて至難の業。

 

父は自分に何かあった時に、一時的に病院に入れればいいと考えているようだがそれは違う。

そう言えなかった。父は持論に自信を持っているが、そういう時はショートステイを利用するしかないんだということ。介護のことを1年かけて少し理解してきたけれどやはり、新しいものを取り入れるまでには時間がかかる。

 

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※曼殊沙華※

 

この花を見つけた時にヘリが2機、飛んでいた。ドクターヘリかどうかまでは分からなかったけれど、もし、どちらかに何かあれば、すっ飛んでいくのは私だけなんだと、覚悟を決める日でもあった。今までも近い私が駆けつけることはあったが、年老いた夫婦には何ができようかと想像したら、無理なことだらけになってしまったのだ。

下には事後報告をして、きっと下なりの方法を取りたがるだろう。それを黙って私は尊重しなくてはならない。両親には下の言い分が一番だから。

 

そう思っていたけれど、諦めが出ていることを父がふと、漏らした。

「忙しいんだと思って連絡しないけれど、あいつも何も言ってこない」

私が連絡しない限り、下からは連絡は来ない。だから2カ月ほど音沙汰はない。

そんなことを気にしているよりももう、自分が動いた方が楽になる。身体は疲れても「文句があるならあなたたち夫婦が決めて実行したらいいんじゃないの?」

 

何回か飲み込んで、またも雨の降る日に駅まで歩いて帰った。

 

釣銭に悔しさをにじませた高齢者。

私も何枚か持っている記念硬貨。引き出しの中にしまってあって使うことはないが、以前、コンビニでパートをしていた時に厳命されたことがある。

 

記念硬貨で会計はできないと断ってください」

 

両替に行く時に機械ではできないそうで、窓口で手数料を払わなくてはならないからだそうだ。もし記念硬貨で会計をしてしまったら店員は硬貨を自分の財布の同じ金額と交換しなくてはならない。

もっと悪質だったのはゲーセンのコインと外貨コイン。流石にこれはばれるのだが、募金の箱に入れていく人もいたそうで、経営者は「善意か悪意か判断しかねる」と呟いていた。

少なくとも私が知っているコンビニはレジで店員がお釣りを手渡しする。もしそこに記念硬貨があったら、紛らわせてもとりあえずは分からない。

 

困るのは貰ったお客さんだ。どうやらスーパーのレジ(お金を入れれば釣銭は自動ででくるお店)で指摘されたらしい。「この硬貨は使えませんよ」と。今回の主人公は90代で自立しておられる方だ。

 

勤務先に来て会計をする際に受付で話したらしい。1割負担だから500円以内で済んだのに「あるんだけどね、500円。でもこれ、使えないんだって」と記念硬貨を見せてから千円札を出したそうだ。

「どこで貰ったんだか覚えてないんだけど…この1ヶ月、持ったままだよ」

本当は分かっていたのかもしれないが、地元なので(スタッフは全員、地元民ではない)言わないでおこうと決めたのかもしれない。推測だらけだが、同じことを2回話したあたりに悔しさが垣間見える。

 

マニアには財産・復興支援にもなる記念硬貨は実際には使い道はない。

何と皮肉なことだろう。

それよりも人を見て釣銭を敢えてそこにあった記念硬貨にしたと解釈することもできる。

かつて並んで買った記念硬貨を生活費に回さなくてはならない人もいるということだ。

 

旧日本円札を持って来た人も以前、いたなぁ…。

 

車の鍵を安易に置いてはいけない。

先週の出来事で母よりも父の方に焦らされた出来事があった。

旧盆の時期なので車で来る来客がどのお宅でも多かった。その中での会議(主にケアマネさんが母に話を聞いている)の時も、ケアマネさんの車を動かして欲しいというチャイムが鳴った。

 

父は運転免許を73歳くらいで返納した。1回、高齢者講習を受けたのだが、結局は車を処分し、全く運転しないので面倒だと思ったのだろう。普通2種免許を所持していたが、実際は仕事で使うことはなかった。

 

そういう父が気を利かせたつもりで「鍵あれば俺が出すよ」と中に言いながら「はい、出しますよ」と玄関へ向かい。「ちょっと待ちなさい!!! 免許返納したでしょう!!!」と焦って父の背中を追いかけたのが私。この時は怒鳴られても出禁になってももういいと思ったが、無言で家の中に入ってくれて胸をなでおろした。

私は自宅の車をようやく運転する程度なので、他の車は怖いだけだから絶対にしない。

大体私がたまに駅まで子供を迎えに行くと話した時に「危ないからやめなさい」と、評価に関しては低いので、昔取った杵柄のつもりで「鍵貸して」と言ったのだろう。

 

「はっきり言うけどそれ、無免許運転

私がいなかったら母が止められただろうか?

 

父は運転することが好きだったから、車を売る前は夫にも運転をさせずにマイカーを吹っ飛ばすように走らせていたのが65歳くらいの頃。マナーの悪い対向車に文句をつけるのを母は横で耐えていた。私はそれが嫌だったし、子供も「おじいちゃん、飛ばすよ。お父さんとは違う」と言うくらいだったから、返納してくれて心からホッとしたのだ。

 

でもこういうことがあって…流石にうちの車は運転しない。ミニバンは無理だと言って夫から鍵を預かろうとはしないが…近所には高齢ドライバーが何人もいる。それもある意味怖いのだが、返納したことを自分でどう受け止めているのだろう?認知症ではない父の行動に不安を抱いた日でもあった。

 

敢えてだが私は言いたい。車で帰省したら鍵は絶対に手元から離さないで欲しい。

もしご家族の中にかつてバリバリ運転していた認知症の人がいて、返納していることを忘れているかもしれない。

この車なら運転できないだろうということはない。イモビライザーが何かの拍子で開いたら…エンジンがかけられたとしたら…そして車が動いたら…アクセルを踏んで…あとはご想像に任せるしかない。

 

父が運転好きだったことはよく分かる。夫が運転する我が家の車には絶対に乗らない。悔しいのか、気遣いなのか…じじ心は千々に乱れるようだ。

 

 

仕事の中における自分のポジション。

お盆時期に実家でのケアプラン会議があった。実家に行く日はいつも雨。

今回の母に対する気づきは、

・デイサービスでの人間関係が良好になったこと。

 小規模の施設の中で、利用者さんが意外と施設の職員さんよりも同じ利用者(母は少し若いほうだが)を頼りまた、覚えていること。

 以前の私の仕事でサービス付き高齢者向け住宅に行っていた時も、利用者さん同士の仲良し度が分かったし、双方で頼りあうことをしている光景を何回か見かけたから、納得できる。母はきっとボスママなのだろう。

・会話をしたい。

 父が自分の姉や姪に電話をして、消息を訪ねているらしい。その電話は父がかけて切るだけで母が変わって話すことはない。それ相応に母は不満なのだ。

 近所にいる同年代の方もご主人が家に人が来ることを嫌がるそうで(かといってご自身が出向くのもいい顔をされないそうだ)ベランダ越しに5分話をするだけで終わってしまう。

・下との関係。

 先月帰省して実家に寄ったのだが、「話をしても答えがないのよね」とぼやいていた。恐らく私と下の考え方にずれがあることと、今となってやや対等に話を聞き、私は少し考えてやんわりした回答を出すのだが、下は回答を出さない。元々そういう性格だけど、アグレッシブに医療保護入院をさせた昨年の行動力を思い返すと、どうしたんだ?とついつい言いたくもなる。

 あの子は仕事が忙しいんだろう。

 配偶者の家は看病だから2件は大変だろう。

そう思うことにした。結果報告も今回はしていない。

 

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去年は見られなかった花。病院に行く方が多かった8月だったから。

 

この2ヶ月ほど、フリーター主婦は考えていた。仕事に行く日を変えようかと。

それは眼科に行った時の話から始まる。前回行ったのが3月で、目薬だけ貰うのが2回(昨年の12月と今年の3月)だったそうで、「眼が悪いのにこれじゃだめだよ。復職して相当眼を酷使しているわけだから、他の検査もしなきゃだめだ」と暗にお叱りを受けた。

また頸椎がおかしいのではないかと言われていて、やっと整形外科に行けたのも7月だった。

 

乞われて行く仕事の日もある。そちらは私が介護をしていることを分かっていて、無理は言われないし、日曜日だから逆に医療機関は閉まっているので月に2回は伺っている。

 

スタッフの妊娠・出産・幼児の子育ては女性の多い職場にはありがちなこと。

 

ここに大学生の子供の母親という存在は、自分の体調を整えれば有資格者としての戦力になるということが分かった。

だから自分の体調(通院)をする曜日をもう1日作ろうかと思い、実際は月に2日くらいしか休みはとれない感じだけど、完全オフの曜日に実家に行く日を増やすことはできる。

車は夫が乗っていくので、母の話し相手になってあげるくらいしかできないけれど、もう1日、増やさないとまた、不満が蓄積されるだろう。

 

そんな年齢になったんだな…。自分にできるのは何だろうではなく、若手を守ってあげることしかないんだと気付いた。

と同時に、母のことだけではいずれなくなる介護問題もまた、若手だけではなく同僚たちに訪れることなのだ。

スポーツクラブにて母を思う。

7月下旬に子供が都内の下宿を引き払って自宅に戻ってきたので、のんびりとやっていた4か月から、終電に乗れたかどうかと帰りを気にする生活に戻り、寝不足母さんに戻ってしまい、ブログすら書けなかった(という言い訳)ので久しぶりの更新。

 

週に1回、もう4年目になるが、スポーツクラブに通っている。プールも利用できるが、メガネをかけても見えるわけではないのでスタジオで汗を流すのが、医師からの勧めもあって最低ラインの週1回を守っている。この日だけはバイト先でヘルプ依頼を受けても絶対に行かない。月に1回は実家に行くという理由もあるし、母の通っている病院に行くことも可能な日だから。

 

レッスンを受けてからお風呂に入るのだが、一瞬私が引いた光景がある。

クラブに来る人は60代以上が圧倒的に多い。プールやヨガレッスンだと80代を過ぎた方もいる。

前述したように私はプールのことは全く分からないのだが、お風呂に手を引かれて入ってきた高齢の女性は、歩くのも大変そうで細い方だった。プールで歩く分には負荷がかからないからだろうか。お付き添いの方はお風呂も一緒に入って…あの状態だったら家まで送っていったのではないかと想像する。

 

そういう人がそばにいてきっと、彼女はありがたいと思っているだろう。

母が心療内科の先生に勧められて公営プールに行っていた頃は、父が一緒だった。もう四半世紀前の話だから母が私より少し上の頃。自分でシャワーを浴びて車で帰宅できた。

 

二人連れを見てふと思ったことは、実家の方にあるスポーツクラブで気分転換をさせてみようかと。勿論歩くだけしか私もできないのだが、付き合ってみようかなと。

きっと母は言うだろう。「そんなにお金を使えないよ」と。川泳ぎで育った母(父は余り水が好きではない)だからやる気があれば歩けるかもしれない。「それに私は膝が痛いから嫌だ」とも答えるだろう。

 

母は私が運動を週1続けているのを(実際は場所を変えてかれこれ16年ほどやっている)怪訝な顔で尋ねることがある。「身体がきついでしょう?」「かかっている先生たちに運動を欠かさないようにって言われているから、これは薬と同じなの。家族がOKしてくれる大事なことなんだよ」と答える。母は「あなたらしいわね。自分の時間を持つことを優先するのは」と、そうしなかった自分を悔しいと思うのかもしれない。

 

運動が苦手だった小学校2年生までは、両親とも運動会の徒競走の写真を撮ってくれなかったのだが、小学校3年生になって器械体操に目覚め、急にチャリを吹っ飛ばして田んぼや畑のある所までいく姉ちゃんになった。4年生になって突然、泳げるようになったのだが…ああ、母と一緒によくやったのはバドミントンだ。彼女は子供でも手を抜かない。だから広い公園まで行って打ち合った。

 

今?母には額にうっすら汗をかくデイサービスでのラジオ体操フルが合っているそうだ。ようやく慣れたのだから、毎回行けるわけじゃないプールに無理に連れて行くのは剣呑だね。

 

私が50歳を過ぎてもなお、この運動の習慣に関しては両親が責任をなすりつけ合っている。「お父さんがゲートボール好きで仲間とわいわいするのが好きだから、お父さんに似たのよ」「お母さんだって若い頃はチャリに乗ってそこら中走ってたじゃないか?鍋焼きうどんの出前に!だからお前に似てるの!」

…若い頃の母のチャリの乗りっぷりは孫が受け継いでいますよ(笑)