***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

仕事の中における自分のポジション。

お盆時期に実家でのケアプラン会議があった。実家に行く日はいつも雨。

今回の母に対する気づきは、

・デイサービスでの人間関係が良好になったこと。

 小規模の施設の中で、利用者さんが意外と施設の職員さんよりも同じ利用者(母は少し若いほうだが)を頼りまた、覚えていること。

 以前の私の仕事でサービス付き高齢者向け住宅に行っていた時も、利用者さん同士の仲良し度が分かったし、双方で頼りあうことをしている光景を何回か見かけたから、納得できる。母はきっとボスママなのだろう。

・会話をしたい。

 父が自分の姉や姪に電話をして、消息を訪ねているらしい。その電話は父がかけて切るだけで母が変わって話すことはない。それ相応に母は不満なのだ。

 近所にいる同年代の方もご主人が家に人が来ることを嫌がるそうで(かといってご自身が出向くのもいい顔をされないそうだ)ベランダ越しに5分話をするだけで終わってしまう。

・下との関係。

 先月帰省して実家に寄ったのだが、「話をしても答えがないのよね」とぼやいていた。恐らく私と下の考え方にずれがあることと、今となってやや対等に話を聞き、私は少し考えてやんわりした回答を出すのだが、下は回答を出さない。元々そういう性格だけど、アグレッシブに医療保護入院をさせた昨年の行動力を思い返すと、どうしたんだ?とついつい言いたくもなる。

 あの子は仕事が忙しいんだろう。

 配偶者の家は看病だから2件は大変だろう。

そう思うことにした。結果報告も今回はしていない。

 

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去年は見られなかった花。病院に行く方が多かった8月だったから。

 

この2ヶ月ほど、フリーター主婦は考えていた。仕事に行く日を変えようかと。

それは眼科に行った時の話から始まる。前回行ったのが3月で、目薬だけ貰うのが2回(昨年の12月と今年の3月)だったそうで、「眼が悪いのにこれじゃだめだよ。復職して相当眼を酷使しているわけだから、他の検査もしなきゃだめだ」と暗にお叱りを受けた。

また頸椎がおかしいのではないかと言われていて、やっと整形外科に行けたのも7月だった。

 

乞われて行く仕事の日もある。そちらは私が介護をしていることを分かっていて、無理は言われないし、日曜日だから逆に医療機関は閉まっているので月に2回は伺っている。

 

スタッフの妊娠・出産・幼児の子育ては女性の多い職場にはありがちなこと。

 

ここに大学生の子供の母親という存在は、自分の体調を整えれば有資格者としての戦力になるということが分かった。

だから自分の体調(通院)をする曜日をもう1日作ろうかと思い、実際は月に2日くらいしか休みはとれない感じだけど、完全オフの曜日に実家に行く日を増やすことはできる。

車は夫が乗っていくので、母の話し相手になってあげるくらいしかできないけれど、もう1日、増やさないとまた、不満が蓄積されるだろう。

 

そんな年齢になったんだな…。自分にできるのは何だろうではなく、若手を守ってあげることしかないんだと気付いた。

と同時に、母のことだけではいずれなくなる介護問題もまた、若手だけではなく同僚たちに訪れることなのだ。

スポーツクラブにて母を思う。

7月下旬に子供が都内の下宿を引き払って自宅に戻ってきたので、のんびりとやっていた4か月から、終電に乗れたかどうかと帰りを気にする生活に戻り、寝不足母さんに戻ってしまい、ブログすら書けなかった(という言い訳)ので久しぶりの更新。

 

週に1回、もう4年目になるが、スポーツクラブに通っている。プールも利用できるが、メガネをかけても見えるわけではないのでスタジオで汗を流すのが、医師からの勧めもあって最低ラインの週1回を守っている。この日だけはバイト先でヘルプ依頼を受けても絶対に行かない。月に1回は実家に行くという理由もあるし、母の通っている病院に行くことも可能な日だから。

 

レッスンを受けてからお風呂に入るのだが、一瞬私が引いた光景がある。

クラブに来る人は60代以上が圧倒的に多い。プールやヨガレッスンだと80代を過ぎた方もいる。

前述したように私はプールのことは全く分からないのだが、お風呂に手を引かれて入ってきた高齢の女性は、歩くのも大変そうで細い方だった。プールで歩く分には負荷がかからないからだろうか。お付き添いの方はお風呂も一緒に入って…あの状態だったら家まで送っていったのではないかと想像する。

 

そういう人がそばにいてきっと、彼女はありがたいと思っているだろう。

母が心療内科の先生に勧められて公営プールに行っていた頃は、父が一緒だった。もう四半世紀前の話だから母が私より少し上の頃。自分でシャワーを浴びて車で帰宅できた。

 

二人連れを見てふと思ったことは、実家の方にあるスポーツクラブで気分転換をさせてみようかと。勿論歩くだけしか私もできないのだが、付き合ってみようかなと。

きっと母は言うだろう。「そんなにお金を使えないよ」と。川泳ぎで育った母(父は余り水が好きではない)だからやる気があれば歩けるかもしれない。「それに私は膝が痛いから嫌だ」とも答えるだろう。

 

母は私が運動を週1続けているのを(実際は場所を変えてかれこれ16年ほどやっている)怪訝な顔で尋ねることがある。「身体がきついでしょう?」「かかっている先生たちに運動を欠かさないようにって言われているから、これは薬と同じなの。家族がOKしてくれる大事なことなんだよ」と答える。母は「あなたらしいわね。自分の時間を持つことを優先するのは」と、そうしなかった自分を悔しいと思うのかもしれない。

 

運動が苦手だった小学校2年生までは、両親とも運動会の徒競走の写真を撮ってくれなかったのだが、小学校3年生になって器械体操に目覚め、急にチャリを吹っ飛ばして田んぼや畑のある所までいく姉ちゃんになった。4年生になって突然、泳げるようになったのだが…ああ、母と一緒によくやったのはバドミントンだ。彼女は子供でも手を抜かない。だから広い公園まで行って打ち合った。

 

今?母には額にうっすら汗をかくデイサービスでのラジオ体操フルが合っているそうだ。ようやく慣れたのだから、毎回行けるわけじゃないプールに無理に連れて行くのは剣呑だね。

 

私が50歳を過ぎてもなお、この運動の習慣に関しては両親が責任をなすりつけ合っている。「お父さんがゲートボール好きで仲間とわいわいするのが好きだから、お父さんに似たのよ」「お母さんだって若い頃はチャリに乗ってそこら中走ってたじゃないか?鍋焼きうどんの出前に!だからお前に似てるの!」

…若い頃の母のチャリの乗りっぷりは孫が受け継いでいますよ(笑)

 

 

 

 

デイサービスの効果。

昨日がケアプラン会議で、週1日利用しているデイサービスの管理者さんも同席の上、まずは女子会(母・私・ケアマネさん・管理者さん)で今までのこととこれからのことを話していた。

途中で混乱している母を見ながらも、言葉を選んで感謝の意を示している顔を1年前は想像することはできなかった。

この間、父は私に命じられた新しい介護保険証と負担割合のコピーを2部、取ってきたのだが、1つが指示した通りではなかったので、再度コンビニへと歩いて行った。私が行こうと思っていたが、「雨だからお父さんが行く」と出かけてくれたので、外野が入らないケアプラン会議を少し勧められた。

 

デイサービスは小規模。慣れるまでに(生活の中に取り入れる)随分時間がかかった。管理者さんも「とても気を遣う方なので、私たちは助かるけれど、ご負担にしないでください。楽しで頂けることが何よりなんですよ」と母に話してくださる。

母は「お昼を頂いた時に”これ、おいしいな”と思ったら、自宅で作ってみようと思うんですよ」と話し、びっくりしたのはこの言葉。

 

「病院が落ち着いたらもう1日、通いたいんです」

 

一同、びっくり。ケアマネさんが「意見書をくださった医師の手書きのコメントにもありましたよ。デイサービスを通じて他者とのかかわりを持っていることが軽快している理由だろうって。」と教えてくれた。

 

父もここのところ忘れっぽくなったのを自覚している。また母が髪を洗いたい時は入浴介助もどきをしているので、彼自身も煮詰まっているだろう。だから少しは離れる時間が必要なのではないか。但し前のようにゲートボールに行くことはできない。何らかの形で社会への父のかかわりを少しだけ元の状態へ戻す時間が、今後の老々介護でも必要なのではないかと考えている。

 

母は電話をかけることができない。かかってきた電話を父から電話を取り次いでもらって話ができる。実家の短縮ダイヤルがまだ、下が引っ越す前のもので(今は固定がない)「かけられないし、かかってこないんだよねえ…」と少し寂しそうだった。

この日の経過報告をしがてら、下に電話を入れた。「まだ決定はしていないけど、月末に行くつもりだから、また、連絡しておくよ」と言っていた。過度に期待をして貰っても困るので、両親には話をしないで帰ってきた。

 

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昨年の夏には何もなかったプランターには小さな家庭菜園ができていた。トマトは母の従弟(68歳)がどどっと送ってくれたもの。てきぱきと切り分ける母の手元を私と夫と父は穏やかな顔で見ていた日。そう、これは父が作ったものなのだ。

 

【Another Story】生き抜けと言ってくれた人たちに感謝する日々。

10年以上前。1年間に2人のママ友を失った。就学前のお子さんたちとはそれぞれ子供を介しての繋がりがあり、今でも最後にあった元気な姿を頭の中に残している。それが夏。そして私自身も2回の大病をしたのも夏だった。

 

1回目に倒れた日は、ママ友でもあり、私には年の近い姪(姻戚)の通夜の前日だった。

鴨居にぶら下げてあった夫と私の礼服・子供の黒い服。でもそれを着て通夜に行ったのは夫だけだ。

私は治療のために、1本の点滴を2時間かけて落とすという急性期治療を3日間受けることになり、子供を同伴していた。一人で歩ける状態ではない。夫が私の病状を話ができない理由はいくつかあった。

・親戚の体裁で集まらなくてはならない。

・何かを信じれば病気は治ると言い張る人たちがそこにいる。

だから彼なりの対応で私への雑音を避けて、一連の式に1人で出かけて行った。

「今は可能性を信じろ!」

実際それは諦めにも近かった。担ぎ込まれた大学病院でそう、教授から言われていたけれど、「やるだけはやりましょう」に従った。あの時諦めていたら恐らく、こうやって文字を打ち込むこともできなかっただろう。

PCは病気の後で覚えたもので、家から出ることがほとんどできなかった当時の私を支えてくれた方が教えてくれた。時間ができた私は当時、CGIのカスタマイズをしてサイトを運営することに生きがいを見つけていた。写真も病気の後に夫がデジカメを買ってくれたので、写真併用のサイトを10年近く運営していた。

 

それから8年くらい経って別の病気が見つかった。この時はある意味偶然ではあるが、やはり大学病院を紹介されて、手術をすることになった。その結論を報せたのは夫とPCを教えてくれた友人で、電話をかけたのが先に逝ってしまったママ友の元住んでいた家の近くで、夕方の夏空がこんなに辛いものだったのかと思った。最初の病気も担ぎ込まれた病院で見たのはこの空だったから。

 

時期を見て手術は早めに入れて頂き、その後の治療を行っている間はパートをしていた。治療費は微々たるパート代で賄えるものではない。貯金を崩して医療費を支払った。そんな間に子供が大学進学の準備をするようになり、思い切って復職をして現在に至る。

 

夕方の夏空がいつもかなしみに包まれているわけではない。

 

そう教えてくれた、支えてくれた友人も生死を分けるような大病をして、一命をとりとめ、今は自分の人生を自由に生きるようにしたそうだ。

 

年齢が年齢だからね。やりたいことをやって本望。でもあなたはまだ、やるべきことはいっぱいあるよ。

 

子供との接し方を教えてくれた人たち。そして今後の子供との距離感をうまくとれと教えてくれる人たち。

親の介護はまだ始まったばかりともいえる。それは私が今、生きる方向に導かれたからできることなんだ。

 


Mark Ronson - Uptown Funk ft. Bruno Mars

ケアマネさんからの電話。

母の介護区分の件諸々で、出先で電話を受けた。

「要介護2で今までと同じだそうです」

要支援だったら(今の母の状態では)区分変更をかけるつもりだったので、その意味ではひとつ落ち着いた感がある。

入浴への不安を言い出したことが決めてだったのか、主治医の意見書の内容は分からないけれど、気分障害と行動のアンバランスが少なくとも同居している(主たる介護者の)父には相当な負担になっているので、週に1回は同じデイサービスを継続できることに安堵した。

 

下にメールで伝えると、「喜んでいいのか複雑ですね。でも変わらなかったんですね」

確かにそうなのだ。要介護状態であることは代えがたい現実である。進むも止まるも私たちにも…そう、母にも分からないことなのだ。

 

デイサービスから毎月、写真が届く。その写真はプランターで育てている作物をかごに入れて持っている母の姿だった。何回見ても、余りにも顔が私に似ていて思わず吹いた。

というのは、母は元々メガネをかけていて(私もかけているが)10年余り前に白内障の手術をしてからはメガネを要しなくなった。先日は「サングラスが欲しいわねえ」と、古いメガネを出して作り変えようと迷っていたっけ。

 

「すっぴんの私じゃないの、この顔は!!!」

私の化粧は余りにも手抜きなので、誰もがほぼ、すっぴんだと思っているし、オフの日までメイクはしない主義だから、実家の近所の方が「お姉ちゃんとお母さん、顔が似てきたね」と仰ることに大きくうなずく証明にもなった。

 

 

kanade15.hatenablog.com

 

介護は昨年の9月から実際にケアマネさんを入れて始まった。かれこれ1年になろうとしている。

子供は当時大学3年生で上げ膳据え膳。授業だ・サークルだであてにはならない(あてにもしていなかったけれど)状態。下宿はこの時していなかったため、夫も巻き込んでの介護生活がスタートした。

年末年始は母が冬季うつになり、今年の1月~2月は仕事を一時減らした。パート繋ぎのフリーターである私には減収になったが、今は「そういう時も出てくる」ことを諦められるようになった。考え方を変えることを柔軟にできる環境下で仕事ができることに感謝する日々でもあった。

 

私が知りえなかった母の生い立ちをせん妄という形で突きつけられるところから始まった介護。

在宅をサポートするには不十分であるかもしれない。それが仕事をしながら親を介護していく40代~50代の介護の限界である。

また、今は親世代が独居(死別・離婚)であり、子世代も同様であることが多いことは行政は理解しているのだろうかと思い始めている。主たる働き手(納税者)の必死さを本当に分かっているのかな、行政は。

孫に対する関心を求めてはいけない。

 

拙宅の子供が多々挫折を経て内定を頂いたことを、実家の両親には伝えていない。下には昨日連絡をして、保証人が必要だったらお願いしたいと言う旨を伝えた。下が就職する時は夫が保証人になった。そのことを分かっているので、快諾してくれたのだろう。

でも「実家に言うのは今度のケアプランの時でいいでしょう。今はとても孫の話どころじゃないだろうし、逆に介護のことで頭がいっぱいの父だから、集中させないとならない」とも言っていた。私も、もし入浴介助を父がしていれば(耳が遠いので電話は全て留守電にしている)邪魔以外の何物でもないので、「そうだね。今度話すよ」とFaceTimeを切った。

 

当の孫は前にも書いたが、大学1年生の冬休みに母から「バイトをしなさい」と説教されて以来、実家に寄り付かなくなってしまった。「冬季うつ病だから」と慰めても、「あれは人に言う言葉じゃないよ」と怒り出す。成人した翌年はこんなことを言っていた。

 

同期のおじいちゃん・おばあちゃんは成人を意味あるものとしてくれたよ!

お祝いに高額なものを買ってもらった云々…私は「うちも私大できついのは分かってるでしょう?年金で暮らしている今は無理なんだと思わなきゃ」「他の子の祖父母だって同じじゃないの?」とミゼラブルなことを嘆いてばかりだった。

 

孫の名前を忘れているわけではない。でも関心は自分たちの暮らししかやはり無理なのだ。多くの高齢者と接する仕事の日こそ痛感する。小さな世界で自分たちの立ち居振る舞いを考えるようにシフトしてしまうことなど日常茶飯事である。

 

私は専門職なので、企業の診療室(というものが昔はあった)以外はブッキングすることはそれほどなく、2件目で採用されて10年勤めた。ブランクを経て、復職後は2件の登録した求人サイトで探して、今に至っている。

下は就活をしている。理転就職だったが、配属先は本社ではなく地方の社員寮だったので、家財道具を両親が買い、米やら何やら送っていたことを聞いている。(下の頃は売り手市場だった)

 

今、実家の周りでは私たちきょうだいが一番の年長者だ。孫が一番大きいのもそうだし、親の介護ということも先頭を切ってしまった。そうなった時にとても孫のことは考えに及ばないということは多分、近所の方は分かっている。

 

いつか子供の心がもう少し落ち着いたら、双方30分が限度だと思うけれど、顔を見て欲しい。

カラコンを入れていても、口が悪くても、理論的に物事を言うようになっても、あなたたちの孫は一緒に海辺で遊んでもらった時と内面はそう、違いはないのだから。

 

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:::2017.06.17 大通公園バラ:::

 

【スピンオフ】札幌2泊3日・食事の話。

ぼっち旅行(学会だけど)のうちの2泊目に知人が札幌に来ることが分かっていた。翌日は私よりも早い飛行機で帰るので、夕食のみ一緒にできる。

 

ところがここで大問題。何を食べるも何もない。双方好き嫌いが多すぎる。

ジンギスカンと牛肉がダメな人(私)

・貝がダメな人(知人)

・鶏の半身が苦手な2人

 

何を食うのだ!!!

 

そして実は前日のぼっち飲み。お店がお祭り帰りのお客さんで入れなかったので、予約を入れておいた。

 

 

どうも私、旅先でのパツパツな予定を優先して、食事をすることを余り考えない性格らしい。

大体行きのお昼は成田のローソンでおにぎり・翌日のお昼はだけは穴子寿司のテイクアウト。帰りは新千歳のローソンでサンドイッチ。

www.kani-ya.co.jp

 

しかも船橋東武に期間限定で出ている( ゚Д゚)(2017.06.25現在)

 

2日目の夕食アルバム。食べかけもあるけど💦

 

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中生3杯は当たり前だけどここまでで終えて、知人と別れてお宿でまた缶ビールを飲む私。

家にいるといつ何時「車を出して~」と言われるか分からない生活を3月までしていたため、ペーパードライバーもスタンバっておかないとならなかったので、外での解放感は嬉しかった。

(言い訳)

 

次回は試験なので飲んでいるわけには行かないな…1日ずらして行こうかな…。

また北海道へ、今度は家族で出かけたいので、お仕事、頑張ります😃