読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

【Photo】コンデジ望遠で遊ぶ。

時期はGW。

izumi-park.city.chiba.jp

花はイカリソウ(メギ科)。足元の花を踏みつけるわけにはいかない時もある。そういう時こそ望遠機能が活躍する。

時々東金成東食虫植物群に行く。こちらは絶滅危惧種の花があるのだが、時にいる「足場が悪くて湿原に入って怒られる」いいカメラを持ったおじさんが!(私にとってのおじさんは60歳以上になっている)

 

f:id:kanade15:20170526093949j:plain

 

こちらが通常版。

 

f:id:kanade15:20170526094025j:plain

 

こちらが望遠版。ピン甘だけど好きなのは背景がソフトになるから。

 

2つの個体は咲いている場所が異なる。晴天の時は望遠機能がまことに助かる。どうしても入れないところを最大限にして撮影する。風がなかったので何とか撮れたのだが、そううまくいくわけはない。

 

前述の東金成東食虫植物群では、九十九里の海風が吹く。予定して向かった日が必ずしも好天とは限らない。近くではないから「じゃあ来週」は通用しない。花が終わってしまうかもしれない。

風の強い日の望遠こそ気力と体力を使うのは、私がファインダーを覗けないからだ。片方の目に視野欠損が一部あるため、液晶画面で撮るのが95%だから、Nikonの液晶(接写モード)で赤い枠が出たらシャッターはおりない。ひいたりおしたりとズームを合わせて…同じ被写体15枚が無駄になることもある。

 

そんなことを重ねて10年余り。動画分割も昔はやったけれど(鳥の時に役立った)行ける時に行く。その時期の花を撮る。だから余り温室には行かない人が私だ。

ケアマネさんの心遣い。

介護認定審査の日程は、先に通知が来るのかと思ったら、実家の市の介護福祉課の職員さん(この方は確か、初めての認定の時にお越しくださった方だと記憶する)から木曜日の夕方に電話があった。「ご家族の都合を優先します。担当のケアマネさんが、娘さんが都合がいい曜日を連絡してくださったので、2日用意しました」と。審査の時間は9時・10時半・15時と決まっているそうだ。

実家には用事の後で駆けつけるのだが、午前は厳しいので15時で少し遅れて家族(今回は私と夫)が行き、その間に母との会話での調査をすることになった。

ところがその日はケアプラン会議がある。父には同じ日にやると言ったが、母は疲れ切るだろうと思い、今日(金曜日)にケアマネさんに電話をした。いくつか聞きたいこともあった。

 

「6日に認定調査があるのでしたら…翌週はお母様病院受診ですよね?でも16時なら大丈夫かしら…少なくとも6日はお疲れになるでしょうから延期しましょう」と言ってくださり、実家の留守電に入れておいた。どうやら明日が病院らしく、21時でも出ない。明日の夜に再度、かけてみることにした。念押しの葉書はポストに投函しておいたから…いや、電話しよう!

 

ケアマネさんが、調査に当たっての家族の意見に関することを教えてくれた。それは昨年のこととは今年は若干異なるので過去記事を入れておく。

 

kanade15.hatenablog.com

 この時私は、事前に調査員の方に「別の場所でお話を聞きたい」と言われていたので、調査の後に近くのショッピングモールで1時間ほど話をしている。今回はそういう時間がないと思われるため、ケアマネさんからは、「娘さん・下のお子さんそれぞれの視点で書いたお母様の現状を伝えるような文書があれば、それを調査員に渡して読んでもらうことはよくあります。むしろ下のお子さんが遠方なのでそれをお勧めします」と言われた。

 

これからのことに関しても、このブログを再度読み直して書くことができる。

・近所の方との関係。

 

せん妄がひどかった頃に母が取った異常行動は、母の近所でのお付き合いというものがなくなる状態にまでになった。そちらのご家族に恐怖を植え付け、無視を決め込まれ、時には私の家に電話で何かを聞こうと何回か電話をかけてきた。着歴があっても私からかけることはしなかった。はっきり言うと触らぬ神に祟りなし状態で、「うちじゃなくてよかった」と思われている老々介護なのだ。悲しいことだけどそれが高齢者だらけの実家の周囲の現実である。

(これには相手の家族の問題があるので記載は控えておく)

それに対して精神疾患(或いは軽度認知障害)に対して理解がないど怒る父。関係はもう二度と修復しないだろう。それで果たして地域の中でやっていけるかどうかの不安点は伝えたほうがいいということ。特に父が倒れた時にどうなるかが一番、気がかりである。

kanade15.hatenablog.com

 

その他、記載するべきこと・伝えたいことは山ほどあるが、家族が見た母の様子が認定を受ける医師の元にも反映されるとなれば、やはりここはしっかりと現実を伝えなくてはならないと、次の休みにはWordを打つことにしている。

 

流石の私も精神的に参っていることは否定しない。気力が尽きそうなところだが、切り替える場所に行くことを楽しみし、仕事の方もまた、見つめ直しているところだ。

 

 

介護保険更新に向けた準備。

先週のケアプラン会議の後から、下とやりとりしているのは介護保険認定更新の家族からの視点を総合的にまとめるということ。

概要の様式を写メって添付して、Word原稿が届いた。遠くにいる下にかかってくる電話の内容が、月に1日行く私の前で見せる姿と若干違うことが分かる。

・かけてくる電話の内容が30年くらい前の愚痴ばかり。

・感情失禁が強く、毎回泣いている。

私の前では過去にさかのぼった話は恨み話は余りない。ケアマネさんの前で泣くのは毎度のことなので、収まるまでほとばしる感情を黙って口に出してもらう。

2人の共通した見解としては、

買い物難民であること。

・金銭管理ができないこと。

・歩行の状態が良くないこと。

・配偶者である父の年齢と体調を考えるとデイサービスは必須であること。

 

2人とも医療従事者(医師ではない)なのだが、下の方が凄く突っ込んでくる。それをみていて思ったのが、

母の病態が一体何なのか。認知症の種類もいくつかあるが、何かに当てはまるのではないかを”病名”として欲しいのではないか。

 

う~ん…病名が分かれば担当医も苦労しないだろう。1年近く言っていて私のお呼び出しがないところを見るとやはり、軽度認知障害じゃないのかな?軽度の段階が少し上がっているかもしれないけれど、少なくとも孫への気遣いが多少は出てきたので、私はいいと思うんだけどな。

とはいえ、現状としてのせん妄があることは見逃してはいけないことだし、これを電話をかける人に話す(例えば下)という一連の行動は問題であろう。軟禁状態のストレスたるや相当なものだと思う。

 

また、私は歩幅が遅くなった母を見ながら思うのだ。

足を増やさなくてはならないのではないだろうか?

足とは歩行補助用具のことだ。

ansinkaigo.jp

 

エアロバイクをこげたとしても前に進もうとする足の運び方がどういった関係で分からなくなっているのかというのを、下は気にして病名云々を言っている。

一番は父(年の割に脚力はある)と共に歩こうとしたら、せめて杖でもないと難しいだろう。

逆にとれば、歩行器があったら夜間、外に出てしまうかもしれない不安が付きまとう。

狭いところは支えるものがあるので歩けるが、階段は1段ずつ足を運び手すりを触っている。私も手すりがなくては怖くて降りられない。建て替えの失敗はここなのだが、父の説明によると基礎部分を考えるとこうするしかなかったそうだ。

重心がおぼつかなくなっているこの10年余り、母は何度骨折をしただろう?その時点で導入するべきだったのかも知れない。足はいつまでも2本であって欲しいのだけどね。

 

f:id:kanade15:20170516225716j:plain

:::エビネ(ラン科):::

「家出しようかな」と繰り返す母を宥める。

ケアプラン会議のために実家に行くと、1階では父が大音量でTVを見ている。キッチンは電気が消えているので「お母さんは?」と聞くと、「上で寝てるよ」との返事。そして上に行けば、「片づけたりして疲れたから横になってたの。家出しようと思って」またか、また何かあったのかと暗澹たる思いで話を聞いていた。

 

母はデイサービスでの自分の位置づけを話してくれた。

・私は忘れてしまったことを学び直しに行く。

・人とのお付き合いも頑張ってやっている。

・中には職員さんに言われたことをやらないでいる人がいる。

(こちらは自分でやれることはやることで自立を促す方針)

・トイレの問題。

小規模なので最大10人の高齢者が集う。トイレと昼寝が結局は奪い合いになる。先手を打とうとはしない母は、尿漏れパットを当てて(実際はトイレに行くので使わないのだが)その予備を持っていく。

・昼寝の時に誰かの使った毛布を使いたくないし、自分のものを使われるのも嫌だから、持ち込むかしまってもらう。

潔癖症

 

気を張り詰めて行っているのに、帰っていて「お風呂に入れ」云々とせかすお父さんに腹が立つ。「お金をだしてやって遊びに行ってるんだろう?」と思われているのが悔しい。

父の内面にあるものは実はそうなのかもしれない。自分はグランドゴルフをやめたのにお前はデイサービスに行くんだろう?デイサービスを理解させる(実際何回か父は見ているのだが)ことは至難の業だと思い、私も繰り返すことはしない。

 

瞬間、私が思ったのは、

 

kanade15.hatenablog.com

 終日、上記に列記した同じような状態になると余計に母はイラつくだろう。認知症の程度によっては「人のものも自分のものも判別がつかない」方もいる。そういう不満を中にしまい込んで、当たる相手もいないとなれば、なおさらだ。父が元気であって、母が自宅を望むのであれば、自分でやらせることにした。

こういった母がケアマネさんに伝えている会話を1分間録音して下にメールで送っておいた。

ケアマネさんと話していて落ち着いたらしく、毎回言うのだがデイで頑張りすぎないことと、食器が1個残っていても気にしないで休みなさい。スタッフさんは分かっているのだからと2人で言い聞かせた。

来月はデイが5回ある。昨年膝蓋骨を骨折してギブスをつけていた期間が影響しているのか、右ひざと股関節が痛いので足が前に進まなくなっている。それでも歩こうと父に言われれば外に出る気持ちは大事にしてあげたいと思って、帰りの電車に乗った。

 

電車を降りてエスカレーターに乗っている時に下から電話がかかってきた。インカムで受けてしまい、「ちょっと今は危ないので帰宅したらかけるわ」と伝えて切った。ケアプラン会議の時は実家に15時40分頃着く。帰りは大体18時位に出るので、買い物をして…帰宅するのは19時前になる。

 

電話を入れて、いくつかの用件も伝えたが、父のことも考えて行かないと私と父が険悪になりそうなことを主に話した。

介護しているのは確かに父なのだが、ケアプラン会議の主役は母。ところが父はどうしても自分のことを話したいのだ。

俺の話も聞け!と言わんばかりに喋りだす。先週話したことも、私たちが知っていることも言う相手を欲しいのは父も同じ。

但し父は母に電話を禁じているそうで、下がかけると呼び出さない限り変わらないし、母も本音は言わない。その代わりに父が寝てから母が下に電話をかけるようだ。

新年度が始まって忙しい下だから、相づちに誠意がないと母は言うが、下も聞くのに必死なのだ。

 

「お父さんを変えることは絶対にできないよ。意固地になるだけ。歩み寄っているとも思えない。自分が主役である人生だから、妻(母)は従じておけばいいと思っている。そこの共存をどう図るかだよね」と言っていた。

 

ケアプラン会議の後は前述した感じで私が帰るので、父はラーメン屋に行こうと母に言う。それが時間短縮だと思っている。そして「何も…家にあるのに、ちょっと遅くなればいいだけでしょう?手伝ってくれればいいだけじゃないの?」と母は父に怒る。これが残っている以上は「家出しようかな」になる。

 

親は話し相手を探して引き留めるわよね。行った時はあなたが聞いてあげるのが一番。そして親っていうのは必ず子供に何かを持たせようとするのよ。それがいつまでも親であるという心なのね。

 

スタジオで声をかけてくださる方が「そっか、今日はご実家なのね。笑って行ってらっしゃい」と送り出してくれる。その方はお孫さんもいる。我が家の子供は目下、下宿中だ。GWに衣替えでキャリーを引きずって戻ってきた時、確かに言ったなぁ。

「新玉ねぎ持ってく?」「重いよ」

もっとも子供は「送られてくる荷物の中に何かないかと探しちゃうんだけど」と言っている(-_-;)

そして昨日、持たされそうになって流石に断ったのは山菜だった。

f:id:kanade15:20170510102344j:plain

:::キショウブ(ショウブ科):::

グループホームとは?

かつて仕事で出向いたことはあるが、実際にどういうところなのかはよく分かっていなかった。

 

www.minnanokaigo.com

 

 

kanade15.hatenablog.com

 

きっかけはこちらの話になる。知人の親御さんは病院にはいられなくなるため、グループホームへの入所となった。認知症かどうかは正直、お話を伺っていると微妙な感じもあるが、認知症は出ている傾向がおありだ。

私の母も昨年は家の電話からあちこちに電話をかけていた。父が連絡先としてクリアケースに入れてある(主に)親戚にかけまくってせん妄を言い、父が(或いは子供のどちらかに)かけてきて、一体どうなっているんだ?と言われていたのが昨年の5月中頃だった。

知人の親御さんは携帯を持っているので、うちよりも電話攻撃がひどかったとか。だから入院してからは携帯はご家族が預かっているので、記憶(或いはメモ・施設側に出している連絡先)で、職員さん経由で連絡を取ろうとする可能性はあるが、現状は「そこまでできるか」というレベルだそうだ。

 

地元で介護をするしかないという理由はもう1つあったそうだ。

些細なことでパニックになる人を、新幹線や飛行機で新しい場所に連れて行けるか?

それを聞くと、私も両親の介護のことはやはり、私の動きやすいところでするしかないのだと教えられたわけだ。

知人は仕事が多忙でとても、親御さんのところまで行くことはできなかった。ご自身が疲れて体調を整えるだけのGWだと聞いた。

 

「お天気が良くなったらお母さんを散歩に連れて行くよ」と父は言っていた。

来週はケアプラン会議。はてさて母の口から出る言葉は何だろうと想像しながら、短かった連休を終えて私は仕事をしている。

 

f:id:kanade15:20170506231038j:plain

 

:::ジロボウエンゴサク(ケシ科):::

【Photo】いつしか人を撮らなくなったカメラ女子の話。

カメラの話には食いつきがいいとよく言われるのだが…最初にコンデジを買ったのが2003年の夏。PCがVAIOだったのでcyber-shot。この時は300万画素という代物。その後に買ったのはSony祭りになっていて、VAIOのデスクトップ(2004年)とcyber-shot DSC-H1。(2004年~2013年)確か600万画素で、このカメラは人ばかり撮っていた。子供の習い事や部活に関する動画を撮るためだ。だから最初に買ったものは写真・後者(下の写真)は動画。メモリースティックを入れ替えて1時間、腕をブルブルさせて(笑)撮っていた。(三脚禁止だった)

f:id:kanade15:20170502203433j:plain

 

これが先ほど引っ張り出してきたDSC-H1。保証期間切れ1週間前に修理したという頑張り屋。

このカメラには両親やきょうだいも収めた。正月には私がカメラ担当なので、実家に今飾ってある親族集合写真には私が写っていないという…ね。

それ以外は花・鳥・時々蝶。望遠がそれほどきかないので接写するために、頂き物のクローズアップレンズを左手に持って小さな花を撮っていた。

 

子供が中学生になって、宿題だなんだとVAIOを使うようになり、ノートを新しく買ったのだがここで問題が起きた。すでに時代はSDカードにシフトしている。そしてPC(この時は富士通のノート)にカードリーダーをつけて読み込ませていた。あっけなくPCが2年ちょっとで壊れて買い替えたのがNEC(今使っているLaVie)にはSDカードスロット。そしてcyber-shotも1/2成人式が近い。

 

その話を聞いていた友達が「今はこれ、使っていないから無期限で貸してあげる」と言ってくれたのがこちらのNikon Coolpix P500。1000万画素だったっけ?取説がない(-_-;)

お借りしたのが2014年4月だが、友達が買ったのはその数年前だと思う。

f:id:kanade15:20170502205307j:plain

 

この2つのカメラはまず、性能も違うんだけど、女子には大事な「重さ」の違いがある。Nikonは軽い。それと接写モードにした時のシャッターを切るタイミングになかなか慣れなかった。仕事が忙しくなって出かける時間もなかったという言い訳もできるけど、同じ花を15枚撮って全滅っていうことに”耐える”ことが多かった。

 

そして人を撮らなくなったのは、スマホiPhone)でお気軽に撮れることと、子供に高校生の時にコンデジルミックス)を買ってあげたので、貸すこともないし(借りものですからね、一応)SDカード内は花で埋もれていて嬉しい。

 

私はSonyNikonしか知らないのだが、黄色がどちらも飛んでしまうので、春の花は結構苦戦する。

 

f:id:kanade15:20170502210311j:plain

今年の3月に撮ったカタクリ(望遠機能使用)

 

f:id:kanade15:20170502210421j:plain

今年の4月に撮ったハルリンドウ(座り込み)

 

 

www.gu-none.com

 

るぴこさんのブログで久しぶりにカメラを語ってみた、人を撮らないカメラ女子がお送りしました。

拙ブログをご紹介いただき、ありがとうございました。

追記。画像加工はPhotoshop Elements14で切り抜いてます。

【Another Care】施設を嫌う親御さん。

子供たちが独立してそれぞれの道を歩んでいるのを喜んでいた親御さんも歳を取る。それは私の母の変容と同じものがある。違うとすればその方は自営でバリバリ仕事をして引退したことだろうか。

引退後は旅行に行ったり、子供たちや孫と会うことを楽しみにしておられたが、歳を重ねて動くことが思うようにならなくなり、家からも出る機会がなく、心を病んで入院している。

 

問題なのは同じ病院にいられる期間が90日であることで、お子さんたちは「もう独居は無理だ」と判断して、地元の施設(いわゆる高級有料)を探し当てた。ところが親御さんは見学に行った時に「こんなところは嫌だ!」と拒否をしてパニック発作を起こしてしまった。

 

これでは施設も無理じゃないか。鍵を開けて出てしまうんじゃないか。

生涯を病院で過ごすしかないのではないか。

お子さんたちは頭を抱えてしまった。

もう在宅は無理なのははっきりしている。そして介護力の問題を問われた時に、1人に過度の負担がかかり、きょうだいの中で諍い(何で自分のほうばかりなの?という)が生じてしまう。

それを打開するために知人は自分の住まいの方での施設を探していたが、地元すら無理だったら余計に無理だという壁にぶち当たってしまったわけだ。

 

親御さんは叫んでいる。「終の棲家はここなんだよ!」と。親御さんの人生は詳しくは知らないけれど、土地を変えたらもう、心の均衡も取れなくなるだろう。

 

デイサービスにも参加していた親御さんは周りの利用者さんと自分が違うんだという認識を持っているだろう。母もそんなところがあるし、母については慣れるまでに3か月以上かかった。デイのスタッフさんがよく見ていてくださって、私なんかよりも”今の母の移ろい”を感じ、適切なプランを立ててくださっている。

 

私たちもどちらかに何かがあった時のことはそこはかとなく考えているだけに、親御さんとお子さんたちの苦悩を他人事には思えなかった。