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***心模様***

気分障害と軽度認知障害を持つ妻とそれを介護していく夫・そして2人の子供たちの介護へむけての取り組みなどを綴っています。また、周りの同世代の介護・高齢者のお話も時々呟いていきます。

母の不調①

都内の子供の下宿に荷物を持っていくため、仕事を休んだ日にスマホに父から電話が来た。

「お母さんがこう言っているので、別の病院にかかるためにどうしたらいいか」

途中で母が出て涙声になって話し出した。宅配便を受け取るために一旦切り、再度かけた。

内容としては以下になる。

 

①見てもらっている歯科医院で上顎(口蓋)と舌が白くなっている。これは喘息の吸入薬のせいではないか。一度、出してもらっている内科で相談した方がいい。

 

www.ishamachi.com

 

私の専門なので分かるのだが、相談するには母の内面の落とし穴があった。

②内科の先生が、去年退院した後で(入院前はせん妄で言葉を発したらしい)「よくあんたここに来たな」と言ったから、薬のことを歯医者に言われたとは言えない。

 

③そこでふと思い出したので、20年近く前に喘息を見つけてくれた先生(今は開業なさっている)のところに行きたい。

 

そちらの開業医は我が家のホームドクターである。夫と子供が17年・私が15年ほどお世話になっている。つい先日の私の休みが下宿前日で大騒ぎだったので、夫に薬だけ頼んだところだった。

こちらは当日予約で人数に制限がある。初診なので予約を入れるかどうかを聞いていて、「これじゃ電話では無理だから帰りにお寄りします」と言い、子供とお昼を食べてから地元へ急いで戻った。

先生は問い合わせの電話を聞き、私の母じゃないかと分かったそうで、お忙しい中1人の受付の方を窓口にしてくださっていた。

お話をして、当日は私は行けないこと。精神科との兼ね合いもあるので、そちらはお任せしたいこと等を話し、予約方法を伺って帰宅した。

 

下にはメールを入れておいた。電話がかかってきたらしく「また浮気の話をしだしたから…悪くなってるのかな」と危惧している。それでも母は今日、デイサービスには出かけているはずだ。

子供は大学生ではあるが、就活と研究室(卒論)に初めての下宿で戸惑うことが多いが、「頼む。何とか乗り切ってくれる?仕事の帰りに下宿に寄れる日もあるから。おばあちゃん、ちょっとまずい状態でね」と現状を伝え、「何とかできることはやるから大丈夫。いざとなれば家に帰れるから」との答えに安堵して、落ち着かない日々がまた、始まった。

買い物難民となった両親。

実家に越してきたときの”周りにお店が少なすぎる”ギャップを解消したのが、大規模小売店舗の進出だった。この頃は私も下も結婚しているので、お正月に子供を連れて時間潰しをさせるにはちょうど良かったし、何より両親は買い物に不自由しなくなった。

その生活が今年から”店舗閉店”のために変わることになり、いざ閉まってみると食材調達に非常に困るということをひしひしと両親は感じて困り始めた。

母の欲しいものを父が買えないと、母が怒り出す→大喧嘩の構図である。

 

それを近所の奥さんが「個配の生協を利用しては?」と紹介してくださり、ケアプラン会議の時には「来週から配達が来る」と父は嬉々としていた。チラシを見ながら「ここはこれがいいよ」「こういうものもあると楽だよ」とアドバイスをして(私は生協が殆ど。買い物は週に1日位)おいた。

 

頷きつつも何となく面白くない顔の母。

チラシを見ながらも「洋服が買えないじゃないの!」と文句を言う。父が「じゃあ耳鼻科の帰りにでも見てくればいいだろう?」と宥めている。

 

でも父の内心はどうだったのだろう。

 

kanade15.hatenablog.com



母の入院前の買い物の様子を聞くと、相当浪費していたことが分かる。父も下も、入院中に寝室を見て呆れていたのだ。「どうやったらこれだけのものを買えるんだ?」と。

寂しい気持ちの裏返しは母の場合、「100均でもいいから買い物をしたい」ということだ。

 

完全に年金生活になってからは現金のみの暮らしに変わったけれど、父の企業年金があった頃は「ポイントが付くからカードで払う」と相当、使っていたらしい。(この時はうつが回復していた頃だ)

長年、私も生協を使っているが、両親よ。買いすぎには注意してね。

 

母がこんなことを言っていた。

「お医者さん代がかかるから我慢しなくちゃね」

母の日近くなったら衣類を買いにいこうか?お母さん。私も多少は出せるようになったよ。

駅までバスでいらっしゃい。或いはうちの旦那さんのお休みが合ったら、一緒に車で買い物に行こうか?

 

我が家の少し先もまた、商店街とスーパーがなくなり、高齢者はバスで駅まで買い物に出ている。

 

娘もまた、恨まれていた。

医療保護入院直後のことを殆ど覚えていない母だが、「下を誰かと間違えていた」ことを聞かされたのだろう。「何で”優しい”あの子を間違えていたんだろうね」と述懐する。

その時に「そういえば親戚から電話がかかってきた時も(苗字は名乗らない)先に下・次がお母さん、最後に私だったわね」と答えた時の母の言葉に顔色が変わった。

 

「だってあなたは相談しようとしても”忙しい”って言って話を聞いてくれなかったんじゃない.。だから親戚の覚えが悪いのよ」

 

いったいこれ、何の関係があるんだ?親戚の相談ごとを何で当時の私↓が聞くんだ?

 

ちなみにこの間違いが起きていたのは私が中学生~高校生の時。父が単身赴任をしたり、父と下の関係が最悪で、進路は自分で決めろ(の割にはあれこれ言ってきたけど)と言われて、頭の中は暗中模索だった頃だ。

追記する。ちゃんと私を指名してかけてくれた伯母がいる。伯母は私が出ても間違えることはなかった。大腸がんでストーマを付けた伯母は、私に「あんたに押し付けるわけじゃないけど、医療をやりたいと思ったんだったら、その道に行きなさい。手に職を持ちなさい」と再入院の前日に言葉をかけてくれた。「この話はパパとママにいう必要はないよ。あんたに向いてるよ。匂いを気にしなかったのはあんただけだよ」伯母の遺言になってしまった言葉を伝えたのは伯母の通夜の席でだった。

 

母の言い分に対して、喉まで出かかった言葉を父の前で言うのも憚られるし、母に言えばまた、怒り出すのが目に見えているが、心の中で叫んでいた。

 

「お母さんは確か、お姉ちゃんは自分で道を切り開けるから大丈夫。ママは下を助けてあげなきゃいけないのよって言ったわよね。そういう娘がどこの隙間で自分のことだけじゃないことも依頼されて、話をいつ、聞けたと思う?」

 

昭和50年代後半~の話だが、父の給料日(25日だった)通帳2冊とキャッシュカードを手渡されて、「お給料はこの銀行で〇万円おろして、その足で別の銀行(住宅ローンの返済)に△万円入れて、残りは持って帰ってきて」と命じられる女子高生はそう、いないだろう。

確かに高校の帰り道に行けばいいが「18時まで」というリミットがある。授業が終わって最寄り駅まで直帰して17時を過ぎる。駅の南口でおろし、階段を上がって北口の銀行に入れる生活は、落としちゃいけないものを預かった重圧と戦う日でもあった。

 

しかも(意外と)がり勉だったのでリーズナブルに勉強をするために、若い方は知らないだろう、「旺文社ラジオ大学受験講座」を聞くために、帰宅して即、その時間に合わせてテキストを構え、録音してやるのが、私と仲のいい友人との翌日の話題であったのだ。それくらい、勉強の楽しみがあってもいいだろうに…。

 

 

もう1つは母が気づいていないので敢えて言わなかったけれど(蒸し返すこともない)一番最初に燃え尽き症候群とわれて入院する時の異変に対しての、私の対応に激怒して電話を切ったということがあった。

その頃は病院で正社員で仕事をし、結婚をしていたので(下は就職で地方に配属された年)日曜日の10時に支離滅裂なことを言いだしたので「そこまで苦しんでいるのだったら、月曜日に病院に行った方がいいんじゃないの?」と進言すると、「あんたは思いやりがない。病院の職員って嫌な人よね!」と電話を切ったのだ。

その後かけ直し、父に変わってもらい、「心療内科に明日、連れて行く」と父と話をして、翌日入院をした。

 

母の主治医は周りの人が母の言い分を”漏らさず”聞き取ってあげることが一番の薬だと仰る。

それほどまでに私は冷たかったのだろうか?父よりは気づきが多いけれど、自分勝手な娘だと思っていたのだ。

冷静に判断し、より母の病態に合った医療機関探しをしていても、結局は母の行きたい医療機関で老夫婦は今でもよしとしている。

私と下はそれをよしとしていないのだが、下が言うには「飽きるまで行かせるしかない」とのこと。

 

 

段々と本音を明かしてくる母は確か、私に去年こう話したのだ。

「そんなに仕事をしなきゃダメなの?」

「子供は私立理系大学生だからね。お金がかかるの」

「ふ~ん。私はそういう苦労は分からないわ。身体が大事でしょう?」

 

だからパートだし、今は少し勤務時間を減らしたんだけど?

 

その話の締めくくりの母の言葉はエンドレスで帰途の雨の道に鳴る。

 

「私がこうなってからのあなたは好きよ。頼りにしてるわ」

 

はい…穏やかに過ごさせてください。実は私自身も相当、参っているのですよ、お母さん。

強く生きろと言われた言葉に応えるべく、必死に生き、病気から這い上がって復職までたどり着いたんです。

冷たいと言われる娘は確かに、結論を出すのが早いかもしれませんが、迷っている暇があるなら即、自分の信頼する医者に家族を導くというミッションをあの大病の時から行うようにしたんです。

 

治ってきたから言える言葉なのだろう。しかもケアマネさんの前での出来事だった。

ノートに毎日、思いを書く。

ケアプラン会議の今日。母はケアマネさんに話す時はどうしても泣いてしまうのだが、きっと「私の話を聞いてくれる人」だから、吹き出す気持ちを抑えきれないのだろう。

根気よくケアマネさんが聞いてくださる。ちょっと眉唾ものの病院に通っていることを今は否定できないので、心の中で私は「…」と何回も言葉を抑える。

 

端的に言うと、母は心にずかずか踏み込まれるのは大嫌い。人に気を配って生きてきたから、アンテナを張って誰かが困っていたら手伝おうという気持ちは大変強い。

ただ…認知症の方だけは何度も説明するのだけれど、「同じことをする」「同じことを聞かれる」のはそれが病態なので「仕方ないんだよ」と言うしかないが、そこが疲れるという。自然と母を頼っていつしか隣に座っておられるとか。マイペースを維持したい心の持ち主は、その話をしたら少し落ち着いてきた。

 

ノートに書くのはその時浮かんだ思いだそうだ。「字を忘れないように」「あの時自分が思ったことを振り返ってお父さんと話をしよう」等々。主治医の言葉の意味を今、深く感じている。思いを吐き出し、ぶつけなさいってことだったのだと。

 

 

ちょっと気になったことがあるので記しておこう。

母が病院に一人で行く時に遭遇した恐怖の瞬間の話である。

 

”歩いていたら足を出してきて引き留められた。一体何だろう?だし、いきなりそういうことをされて、どこかで話をしようと言いだされた”

相手は高齢者らしい。父が言うには「何かを販売するために高齢者を引き込もうとしている」そうだ。

母ははっきりと言ったそうだ。

”いきなりこういうことをされるとね、私は心の病気だからパニックになるんです!怖い思いはさせないでください!”

相手が女性だと理解して引き下がるそうだが、男性の場合は無理だと判断して、店に逃げ込んでからバス停まで行き、病院へ向かったそうだ。

 

 

末恐ろしい。年寄りをサクラにして何かを買わせようとするのかと思う人がいることが。

そして残念ながらごり押しに勝てない方は高額なものを買ってしまうことも見たことがある。

 

母が物事を少しは冷静に分析して相手に話ができる能力をつけたことを評価したい。

「何かあったら交番に逃げなさい」と伝えて帰途についた。

介護サービスを受ける優先度。

現在の段階で母は要介護2である。週1回のデイサービスを受けているが、平成29年1月分の明細を書きぬいてみる。

 

①地域通所介護32(地域型通所介護サービス・7時間以上9時間未満)868単位×4日=3472単位。

②地域介護通所処遇改善加算1(月1回算定)139単位。

kaigo-shienn.hatenablog.com

この2つが介護保険で支払う費用で、負担割合が1割のためこの金額を四捨五入した額となる。(2割の場合は当然倍になる。

要介護2の居宅サービス利用単位の上限内で収まっている。

それ以外に食事代(1回600円)とおやつ代(1回100円)がかかるので、1ヶ月の請求金額は6574円。

 

4月に介護保険の更新をするにあたり、1日私が立ち会う必要性が出てきている。居宅での様子を市の担当者が面接に来る。また、介護の必要性の度合いを担当医からの意見書として頂く。

www.iryohoken.club

 

今は要介護のためケアマネさんをお願いしているが、介護度が要支援になった場合、地域包括支援センターに担当が変わることになる。

介護保険のしくみVol.31(要介護・要支援のサービスの違い)

 

ここで行政から提示された介護度に不服がある場合は、区分変更という再審査を経て介護度を上げる(下げる人は余りいない)ということはしばしばある。

 

介護サービスを受ける際に、家族はどこまでを優先するかで使い方をケアマネさんと家族は考えている。

【例・脳血管障害で半身麻痺の方】サービス付き高齢者住宅に入居している。入居時は要介護5だったが、現在は要介護2。この方に必要なのはリハビリができるデイサービスに通うことだと決まったが、持っている単位数では他の介護サービスを受けることがギリギリになるか出てしまう。

そのため、入居時に受けていた別の介護サービス事業が本当にこの方に必要かという話し合いを経て、「このサービスを受ける必要性はない」と判断し、家族からの申し入れがあって契約を解除した。

この方はリハビリを始めてから良い方向に向かってきている。いずれは自宅に戻って欲しいとご本人とご家族は考えているご様子で、在宅に移行するまでの時間がどれだけかかるか分からないが、個人的には納得いくものがあった。

 

【例・介護サービスの利用限度を超えてしまうので自費でサービスを受ける方】ご本人との意思疎通が難しいが、ご家族が「入居している施設の職員さんにお願いすることが難しい。自分もできかねることなので、このサービスは自費で受けたい」と、長い間、いくつかのサービスのうちの1つを自費で受けている。

 

そんなことをいくつか見ていると、介護保険医療保険を使うサービス業者は、利用者の希望に沿うためには、提供できるサービス内容の必要性を周知して貰った上で介護度に応じた利用限度をケアマネさんと相談し、ご家族にも自費料金の設定と提示をすることにより、利用者以外の新規利用者の獲得にも繋がるのではないかと考えている。

震災の時は冷静に対応できた母。

東日本大震災からもうじき6年を迎えようとしている。我が家と両親は震度5強であったが、家のものが落ちてきたくらいだったのだが、下は被災し、1年後に転居している。

地震直後に下の連れ合いが実家に電話をしてくれて、「うちは2人とも大丈夫です」と家電からかけて来て、それ以降は暫く連絡が取れなかった。父と私が下の携帯に入れても繋がらなかった。

たまたま繋がった時にこう、私に告げた。

 

「電話でしか連絡できないうちより大変な被災者の方のために、回線を無駄にしてはいけない」

「うちは今の家で何とか暮らしているから大丈夫。メールはいつか来るだろうから、用件はメールにして」

 

下は年度末で相当忙しかった。2週間ほど経ってから、実家に電話を寄越し、母が入用なものを聞いた。

缶詰やら保存がきく食品と水と言われて、私は水を送ると母に言い、ヤマト運輸の水を送った。お願いしたドライバーさんが「いつつくか分かりませんが、大切にお送りします」と請け負ってくださった。

 

父の姪が別のところで被災していたため、実家は2人の救援に動いていた。この時我が家は高校入学を控えた子供の制服が入学式に来るかどうかを焦っていたりして、両親は「孫の方を優先しなさい」と言ってくれた。

 

実は下が過労と心労で震災後のGWに入院してしまった。この時の母の寂しさの声を今でも覚えている。寂しいよりは悔しくてもどかしかったのだろう。

「行きたいけれど邪魔になるわよね…親戚の家に行くのも(こちらも被災した)申し訳ないし」

下の連れ合いの親族が亡くなるということも重なり、そちらを優先させての入院だった。

 

父よりもやはり、女性の視線で・かつ母親だから下の好みは一番分かっているから、送るものも的を得ていたとのちに下が述懐している。(姉ちゃんはただひたすら水だった)

そう。細かいところに気づくのが母の素晴らしいところなのだ。大雑把な父と私はしばしば叱られたっけ。

 

いや。内心は本当にこちらに帰ってきて欲しいと思っていただろう。異動願いは毎年出していたが、空きがなかった。そして異動できる年齢を過ぎて、東北での生活となった。

一度だけ転居前の下の家に行ったことがあるそうだ。それが父の運転での最後の旅行。今はとても…東京駅まで行くことすら難しい状態だ。

 

帰ってくることを想定していたような実家のドアやサッシの高さを見て、両親の思いをしみじみ感じている。

誰にでも心のはけ口が必要なこと。

仕事で高齢者と接する機会が比較的多いのだが、上司からこんな話をされた。

 

「介護施設にいる方・在宅の方の心の声も聞いてきて欲しい。鬱憤がたまっているから」

 

前にいたところでも時間が許せば、サービス利用者さんのお話を色々聞いてきた。私にできたことは時間に追われているけれど、居室にお位牌と写真があれば必ず手を合わせること。これを始めたのは半年ほど前からだった。

利用者さんとは以前から親しくお話をさせて頂いていたのだが、2カ月ほど居室を開けておられた。それは配偶者が長の病で亡くなり、その後の色々なことをご家族としていたために留守をしていたそうだ。

「あっけなくてね…病院から連絡が来たけど、遠いから間に合わなかった」と、陽気な言葉の裏を感じていた。ふと見ると窓際にお位牌があったので、「大変でしたね。ちょっと失礼してお父さんにご挨拶させて頂いても宜しいですか?」「ありがとう」その後私は月に1回伺う度、同じことをさせて頂いた。

「あんた若いのによく気が付くね」「若くないですよ。お子さんと年が近いって伺っていましたし、私も(この時は母を介護する立場になった)大変でしてね」逆に愚痴をこぼしている状態だった。そんな利用者さんたちと別れて(退職して)暫く考えた。私の年齢でできることは(利用者さんは両親より少し上の世代だが)やはりこういった仕事なんだろう。そういった経緯もあり、短時間ではあるが同じような仕事を再開したところだ。

 

 

kanade15.hatenablog.com

 

先日はご自身のお父様が入院して、お母様はしっかりしているとは言えどもひとりになってしまったという患者さんがいらした。「これから母のところに行くのですが、どれくらいで終わりますか?」「30分見て頂ければ終わります」聞くともなしにでる介護の話を私は治療を待ちながら聞いていた。

 

私は自分が行き詰まったりした時に、スポーツクラブにいる准高齢者のメンバーさんに愚痴をこぼせる。恵まれっ子だと思っているのは、「お母さん、どう?」と聞かれ、週1回のレッスンを休むと皆さん、「何かあった?ああ、会議の日だったね」と声をかけてくださり(何故か)飴をくれる(笑)

 

母が心の中にため込んだ思いを突然父にぶつけるのは、病院以外に行くところがないからでもあるし、母の病態を大分理解した父に対して、やはり話を聞いて欲しいというわけだ。下が電話で、私はケアプランの折に話を聞いていても、実はそれでは足らない。かつて子供たちが家にいた頃は、母には2人とも”私の味方。特に下は分かってくれる”というもとで過ごしてきた。でも今はそれぞれが独立して話を聞いてくれる人はいない。父のキャパを超えた要求を父が持て余している。そこでケアマネさんが「どうしても心にたまったものがあったら、私がお話を伺いますよ」と仰ってくださったのだ。

 

私と下は冷静に物事を考えるようになっている。統一した見解は、主治医が父に言う「母の言い分に耳を傾けること」と、聞いているだけで捌け口がない父に唯一許されている子供の見守りを身体が続く限り行かせてあげること。気づいたことはケアマネさんにお話を私の方から連絡を入れる。それで大分助かっているのだ。