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***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

燃え尽き症候群から始まった。

昭和60年前後のパートというのは、9時~16時を平日5日というのが多かったのだが、母は、2人の子供が3学年違いなので同時進級でお金がかかる時期になったこと・夫の収入が月に10万減ったことで、18年間の専業主婦からパートに出た。それが昭和58年。

 

私はさっさと進路を決めて進学・就職・結婚しても仕事を続けていた。下が幼い時から手がかかり、ある病気が見つかった時に「お母さんが気づかなかったんですか?」と責められたのが下が小2の時で、夫婦は下を連れて名医巡りをして何とか治そうとしていた。

 

そんな下が大学を出て就職したのがバブル崩壊の頃で、配属先は地方になった。本社でも家を出ないと無理だったのだが、それまで自宅通学だったので、「家からいなくなった下の子」に対する思いは募るばかり。精神的に子離れが下とはできなかった母は、更年期と重なったからだろうか、「何も食べられない」と言い始め、時々パニックを起こし、流石に異変を感じた父が心療内科のある病院へ連れて行き、即入院となった。これが25年ほど前になる。

 

パートは当然解雇された。子育てにお金がかからなくなったので、父の給料でやっていける。1年のうち5か月くらいは入退院を繰り返していたと思う。1年ほど落ち着いた時期があったのは、私が出産して初孫誕生の頃だった。孫が1歳になる頃にはまた、不穏が起こり、入退院を繰り返し、その4年後に心療内科から精神科に転院し、3か月の入院を経て、そのあとは自宅でマイペースで過ごしていた。

 

燃え尽き症候群と仰ったのは最初の病院で私がお見舞い(兼洗濯物回収)に行った折に、主治医から言われた言葉である。「下のお子さんに対しての思いが強すぎるんですよ」と付け加えられた。近所にいた私の同級生たちは皆、家を出ているのに多分母は、小さい時から一緒に病気も戦った下に対しての相当な愛情(或いは執着)を抱いていたのだろう。下が結婚してもなかなか配偶者を受け入れなかったので、こちらが気を使ってしまったけれど、10年後には良好な関係になっていった。

 

孫は小学生になってから年に1回、お盆に泊まりに行くようになった。孫に甘い祖父母(孫は1人しかいない)はどこでも同じだと思うが、長ずるに連れて部活だ・受験だで遠ざかってしまったので、また、下に対する思いが募ってきたのかと受け止めている。

 

私は実家の隣の市に住み、下は地方に行ったままである。ここがポイントかなと思う。