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***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

母の中の「お父さん」が変わった。

入院2日目に急性期病棟の鍵のない部屋に移った。自傷行為は元々なく、暴れたりすることもない。言葉が迷走していることは変わらない。部屋に持って行った荷物のうち、紐のついているものとストッキングは持ち帰るように言われていたので、父が急いで買いそろえた着替えに文句を言っている。文句を言うのは父にだけだ。

部屋を移るときに名札を見て、「私の苗字は違います」とごねたそうだ。旧姓が自分の苗字であり、長年呼び掛けていた父に対する”お父さん”は、13歳で亡くなった実父のことになっている。だから呼び掛ける言葉が父にはない。私と下の名前・孫と下の配偶者の名前も分かっているのに、父に対する瞬間の憎悪の目を見ると何も言えなくなる。

 

父も母の幼い頃の事情は深く知っているわけではない。実母が母の妹のお産の際に亡くなったこと。実父が再婚して婿養子に入ったが、養母との間にできた弟の子守をしていたこと。その養母も子供を残して先に亡くなり、残された子供たちは親戚に預けられて育ち、最終的に母が落ち着いた家が曾祖母の家であったこと。今の母の頭は、彼女が中学生頃から18歳くらいの間を彷徨っている状態だ。

 

だからだろうか?私と下は「お父さんの子供(ここでは父をお父さんと呼ぶ)」であって、我が子なのだがもしかしたら自分が産んだ子と思っていないのか?と首をかしげることもあった。それでも子供たちがすることには肯定的であり、父が手を貸そうとすると「自分でできるわよ」と怒り出すが、そう長くは続かない。波長の乱れがいつ訪れ、いつ終わるか…10分間で喜怒哀楽のすべてを表す母に、子供たちは戸惑う余裕もなく、時にはあやすように語りかけて落ち着かせていた。

 

見当違いが男性にあることをまざまざと見た。主治医が家族が来ていることを聞いて病室を覗きに来てくれた時に母が「先生、昨日より痩せたわね」と声をかけた。病室の空気が一瞬凍った。主治医はプロだから「そうかなぁ?1日で痩せないけど、そう見えた?」と躱してくれた。入院前から父を実父と勘違いすることが多かったし、親族にもそうだった。夫が気にしているのだが、私は母と合わせることを今はしていない。「どちら様?」とか私の知らない過去の人と勘違いされたら、夫が傷つくだろうと思い、「もう少ししたら行ってもいいかもね」と宥めている。男性に対する何が母の中にあったのだろう?

 

そして母は水分制限を受けることになり、病室にあるコップは看護師が預かっている。「1日100㍉という指示ですので…」1日でむくみは少し減っているのだが、自宅にいた時、枕元に水のペットボトルを置いて夜に500㍉近く飲んでいたらしい。脱水も気になるけれどそれは多すぎた。洗面所にあるうがいコップだけはあるが、暫く厳格な水分制限になる。

 

家族4人になった病室で母がこんなことを言った。「病院じゃなかったら…私の誕生日だからお寿司を食べに行けたのにね」

母の誕生日は2週間後なので「え?」と私が言うと、下が手で制して「そうだね。退院したらお寿司屋さんに皆で行こう!」と語りかけた。その時初めて母に笑顔が出た。下がスマホを出して「お母さん、もうちょっと笑ってよ。写真撮ろうよ」と言い出し、何もできない私は後ろで無駄なダンスを踊って…いい写真が撮れたと下は喜んでいた。病室に笑い声が出たのが2日目の話で、この先下はそうそう来られないので、一番大事な笑顔だと思う。朗らかに笑うあの声はまだ、聞くことはできない。