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***心模様***

気分障害と軽度認知障害を持つ妻とそれを介護していく夫・そして2人の子供たちの介護へむけての取り組みなどを綴っています。また、周りの同世代の介護・高齢者のお話も時々呟いていきます。

誕生日を病院で迎えた母。

今日は初めて夫を伴って病院へ行った。誕生日に何かをあげようと思ったが、洋服はある。ただ父が探せないだけで、母の気持ちは「ここで着ていた服は処分するつもり」だそうだから、敢えて服など買わずに、ハンドクリームを持って行った。(病棟に入る前に中身を申告するのは当然のことになっている)

 

夫が「こんにちは~」と入ると、名前を呼んだ母。ちょっとホッとした。「誕生日ね」と私が言うと、ついさっきまでうたた寝をしていたからだろうか?「昨日よ」「違うって。まだ21日だよ」反論はしないで「そうだねぇ…」と至って穏やかである。

 

顔の浮腫が取れて来て、本来の奥二重が見えてきた。話の内容が少し変わってきたところもある。時系列が入院前1か月に戻ってきている。女性がいる云々と、何故か父が土下座して謝ったというせん妄を親戚に話した時の様子といきさつを話している。父から誰に電話をかけたかは聞いていた。「あの時私は最悪だったから」と述懐している。

 

但し、心不全になった入院直前と、水が抜けていく様を表現するのが毎回同じ。「バスタオルをひいて左側にタオルを置いて寝ていて濡れているので取り換える」これ、もしかしたら、自宅にいる時に置いていたペットボトルの水がこぼれていた可能性もある。じゃなきゃ500㍉を全て飲み干すことは夜間にできない…はずだ。熟睡していればの話である。入院していてもそれは同じような(水分は夜間にとっていない)心なのだろうか。

 

3人で盆踊りの曲の話をしていた。「東京音頭とあれ…よく盆踊りでかかる曲。何だっけ?」夫がすかさず「炭坑節でしょ?」と突っ込み、母が「踊るのがねぇ…手足バラバラになってねぇ…覚えたつもりでもだめねぇ」と笑いながら言う。そう、今日は夫がいたからだろうか、泣くことはなかった。子供の話をすると「今の子ってそうなんだってね」と、普通の話をしている。2年前の正月に子供に懇々と「バイトしなさいよ」と無限ループで話していた時とは大違いである。(この時が正月に家族・親戚が集まった最後になる)

 

炭坑節を突然踊りだしたのは私。といってもうろ覚えだけど、踊りたくなったのは、アルバムの中にある私の浴衣を着た写真を思い出したからだ。最後に母が手縫いで作った浴衣を着た中学1年生の私が同級生と共に写っている。そのあとで炭坑節を踊ったのだ。浴衣を着たのはその年が最後だったかもしれない。

 

夕食の時間も考えて帰ろうとした時に、医師から”外泊”の話を言われたけれど、意味がよく分からないようで「慣らしだって先生が言ってたよ」とかみ砕いて答えた。

実際、母が認知症なのか精神のくもりなのかは、外泊してみないと分からないのかも知れない。未だに残るせん妄の深さがいつ取れるのかは私にもきっと、医師にも読めないと思う。