***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

フィルターを通して伝わる病状への対応が怖い。

下が連休中に来ていて(もう実家に泊まることはしないでビジネスホテルを利用)昨夜電話をすると「元の木阿弥になりそうだ」と嘆いている。

 

まず精神科に行くと、主治医と父が話をすることが主で、母は「いい子」でいるから、家での現状を双方、主治医に話すことはしない。

どんな現状かと言うと、父が酒を飲んだ後に人を連れてくることが多かった時代の話で、そこが元々の母のせん妄の場所なのだが、父が「お前いつのことをいつまで言ってるんだ!」と怒鳴り、母が反発する。今の母は76歳ではなく、頭の中は30代~40代になっている。つまり私たちが小学校に行っている頃まで戻ってきたが、内容が変わらないのは、その時代が父の”家に人を呼びだした頃”であって、泊まる人には朝ご飯を早起きして提供したということがしばしばあった。私だって覚えている。朝、キッチンに置いてあったホワイトアスパラの缶詰とマヨネーズの皿が、「ああ、パパはまた人を連れてきたんだ」と、大嫌いなものを見て知るわけだ。その中に飲み屋の女性が来ていたのも私は母から聞いた。

 

私たちは昭和50年の年末に今、実家がある場所に転居したのだが、あろうことか父が忘年会に行くという理由で1日延びた。業者を呼ばない引っ越しだったのでそれが可能ではあったが、母は激怒。「年末ということも腹が立つけれど、二日酔いですって!パパが!」忌々しい顔で見ていたのを覚えている。

その物件は父が決めてきた。増築したのでその現場は見に行っているが、父以外の3人が絶望的な思いになったのは「店がない」「学校が遠すぎる」「病院もない」「自転車だけが頼りだ」という、今までの住まい(公団の分譲)との違いだった。コンビニができる前の時代なので、文房具を買うのも子供の足で駅まで20分弱歩くというところだった。

 

そういう状態で食材を”買いこまなくてはならない”から、父がいれば車で行けるけれど、接待ゴルフでいないということが多くて、母は自転車で買い物へ。前も後ろも食材だらけである。以前は毎日ちょこっとおつかいに行けばよかったし、下と「パンを買って来てね。○円の食パンの6枚切り」お店でも覚えられていて、「今日はふたりできたんだね」と、幼稚園児だった下がお菓子を貰っていた温かい街だった。

その状態でも父は酔客を時々招いたから、この時代が一番、喧嘩が多かったと思う。

父が「営業だから当たり前だ。俺が働いているんだから従え」的な人だったので、反発したら怒鳴られる(あくまでも言うが暴力はふらなかった)ことに怯え、子供たちが小中学校に登校する時間が早くなり、夜遅く朝早い生活を送って頭痛と戦っていたことを思い出す。

 

今でも残る父への恨みは相当だろう。そこが原因だというのに、主治医には「普通です」と語ってしまえば元も子もない。そして下から衝撃の事実を聞いた。

 

精神科の睡眠導入剤を勝手に飲まなくなった!

 

あれだけ服薬管理をしてくれと父に言ったのに、分けているだけで母に管理させているとしたらアウトだと下が頭を抱えた。私は下との電話を切って(22時)電話をかけた。留守電にこう残しておいた。それは母がやや退行していることをツボに入れようと思っての言葉だ。

 

「お母さん。寝つきをよくするお薬を飲まなかったりしているそうね。お薬をきちんと飲まないと、先生に叱られるわよ」

 

下は今日、自宅に帰る。その前に実家に寄ってWordを打って「これを主治医に渡してくれ」と父に託すことに決めたそうだ。

 

①服薬管理ができていない。

②母は先生の前ではいい子でいる。

③父の言葉だけを聞くとまた、繰り返しになると思う。

 

父よ。母が子宮筋腫の手術をした時のことを覚えている?

私と一緒に手術に立ち会って、執刀医が摘出した子宮のどこに筋腫があったかを説明しようとしたら、あなたはいなかった。あろうことかTVをみていた。逃げたんだよね。

スタッフからは「またご主人、いらっしゃらないですか」と嫌味を言われたんだよ。

連れて行けばいい・毎日行けばいいじゃない。元々あなたは他者の病気から逃げることが多かった。子供がいない伯母ががんで余命を告げられた時、母と一緒に行ってたよね。伯母さんのことを本当に見ていたのは…誰だったの?

 

母よ。よく頑張ってきた。天涯孤独で帰るところがない・私には学も何もない。だから一緒にいるといつだったか言っていたけれど、小さな夢を語ってたよね。

「本当はね。お弁当屋さんを自分でしたかったのよ」

夢を諦め、父に尽くして、子供たちに心を砕いてき時代を経て、疲れがどっと心に出たんだよね。

 

そう思っても、不可逆な状態であって、最悪の状態を避けるべく、子供たちは再度奔走する。これこそ、両親が体験したことがない介護という世界なのだ。

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