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***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

ついに下がキレた敬老の日。

私が出かけている間にメールが来ていた。買い物中でレスが遅かったのだが、簡略に言うと「もう父につき合いきれない。もう少しいようと思ったけど帰ります」あの我慢強い下を怒らせるほど、次々と送られてくるメールから、どれだけ父が不快な思いをさせたのかと、同じ子供とはいえ、頭を下げるしかない状況になってしまった。

 

腰痛を訴えた母に対して”性懲りもなく”整形外科に連れて行ったらしい。そこの医師、介護保険で訪看が来る予定だと父が言うと、どうやら整形外科分野でも見てもらえと言ったらしい。おいおい、そこはあなたが言うことじゃないだろう。こちらが求めているのは精神科にたけた訪看さんなのであって、年寄りに余計なことを言って欲しくはないんだよ。

母曰く「湿布と喘息の薬の相性が悪い」んだから、行ったって湿布を大枚出してくれるだけの悪循環なのだと怒鳴りそうになるのを何とか抑えた。

後期高齢者の医療費の無駄の1つだと私は思う。特に湿布だ)

 

服薬管理ができていないことを父に注意したところ、逆に父が下に言ったそうだ。

「何故あの病院(今かかっているところ)にしたんだ?」と。経緯を振り返るが、元々かかっていた精神科クリニックは母に見切りをつけた(父もそれを願った)ため、精神科探しをして1件行ったが、認知症疑いがあったのでそちらでは受け入れができないような感じであった。そのために医療保護入院を下が探して包括経由で決まった。父もそれを受け入れていたはずなのに、急に変化した。

ブチ切れた下。Wordで手紙を書いて明日、医師に渡すように伝えてすぐに実家から自宅へと遠い道のりへ向かった。「手紙を見せたかどうかを夜に確認の電話を入れてくれないか」とメールで寄越し、レスはなかった。相当立腹しただろう。虚しさだけを残させたことに何回も詫びを言うしかなかった。

 

下が中学生の時に一時不登校になったことがある。父が単身赴任をしていた頃で、たまに帰ってきたある日、酔って「何で学校に行かないんだ!」と怒鳴ったらしい。担任後任の(?)いじめが原因だったので「理由も知らないくせに。自分は行きたくても居場所がないんだよ」一触即発となったのを母が制したという経緯がある。体裁を考えてばかりの父がエアメールを送っても結局は説教だったそうで、反抗期に油を注ぐ結果となった。だから元々、下と父は仲がいいとはいえないのを抑えて「母のために」頑張ってきたのだ。何故父はそんなことも引き出しの奥に隠していけるのだろうか。

 

私たちが分かっているのは、父が変わらない限り母は好転しないということだ。家に閉じ込めておいてどうするんだ?何故一緒に散歩をしてあげないんだ?たった10分でもいいじゃないか!好きな花の名前を忘れていても、季節を感じることはできるだろう?

 

夕方、母から電話がかかってきた。昨日の留守電は「うん。鳴ってるなと思ったんだけど、私の近くには電話がないからごめんね。朝、お父さんから聞いたわ。それとパパ(夫)がお休みなのに来てくれて悪かったね。宜しく言っておいてね」と。父は何だか食材を買ってきて欲しいと言っていた。下のことには一切触れなかったのは…メールをしていることを分かっていたからだろうか?

 

下が東日本大震災で被災し、仕事が一番忙しい時を乗り越えてホッとした頃に、ぶっ倒れたことがあった。再びそのようなことが起こらないようにするためにも、近くにいる私が動くことが一番なのかもしれないと改めて思った日だった。

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