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***心模様***

心の病を持った妻とそれを介護していく夫・そして2人の子供たちの介護へむけての取り組みなどを綴っています。また、周りの同世代の介護・高齢者のお話も時々呟いていきます。

自分の主張を少しずつした母。

ケアマネさんを交えてケアプランの打ち合わせをした。出席したのは両親・私。夫も来てくれたが、父が付き合わせては悪いと思ったのか、TVのリモコンを預けられていた(-_-;)

病院での様子を聞くと、どうやら母は自分のことを言葉に出せず、父が代わりに話しているので、そこが不満になっている。主治医は母をじっくり見て現状を見ているそうだ。

その間、父が今までの心療内科と精神科の通院に関することを色々話していたので、今必要なのは「母の話を聞きながら専門的な知識で診てもらえる訪看さんだ」と切り出すまでに相当の時間と私の忍耐が必要となった。(医療分野では即決型のタイプ)

 

要は父、最後に母が入院した2001年の時と今回が同じだと言い張るのだが、それは違う。あの時の母は抑うつで食事をとらなくなったけれど、せん妄はなかった。「治りたいから精神科でもいい」となって紹介されたのだ。そして、母は今回の入院した日前後の記憶がないそうだ。「気が付いたら知らない病院にいて部屋を移動した」(鍵のかかる部屋に1日いた)「そうなったのは○ちゃん(下)が手配したからだよ。私も病院にその日行ったんだけど、お母さんとは会ってないんだよ」と話すと、「そうなのね…。相当だったんだね」←冷静な部分はあることは分かった。

 

私と下が気にしているのが”父が言葉を奪ってしゃべること”であって、守るのは確かに父で、そのプライドを崩さないように子供たちは必死だった。それを母の方が理解しているのだ。「子供たちがお父さんのことを叱るんですよ。それは子供たちの方が正しいんです。二度手間をするなと、この間も娘の旦那さん(TV鑑賞中)が来てくれるから薬を貰ってきなさいと言われたのを無視したんです」とケアマネさんに話している。これ自体が相当の進歩で、ケアマネさんも「二度目でこんなにお話してくださるくらい元気になられたんですね」と温かい声で話しかけてくれて、少し涙ぐむ母。

私の左側に父がいたので、母が話している時は「ちょっと待って。話をさせてあげて」と父を制する場面もあった。

 

訪看をお願いするにあたり、主治医に再確認して貰い、いわゆる指示書を書いてもらわないとならないそうだ。それには時間がかかるのだが、「私は新しい人を受け入れるのが難しいので、ゆっくりとした方がいいです」とケアマネさんに話していた。

そうだと思う。新しい人を受け入れるのは私も苦手だけれど、高齢になってくれば余計にそうじゃないか。自分の主張もあるし、こういうことが気にいらないと激高する高齢者も見たことがある。それは父が顕著なのだが、ベースはとりあえずできたので、走り書きの言われたことを父に渡して、来週、主治医に聞いてもらうことになった。

 

ケアマネさんが帰り際に「下のお子さんが今度いらした時にご挨拶したいですね」と母に言うと、「本当にね…あの子は小さい頃は手がかかったんですけど、今は私を精一杯気遣ってくれます」と目に涙を浮かべていた。

もう夕暮れが迫ってくる自分に打ち合わせが終わった。「飯でも食いに行くか?孫は?」大学生の子供にも会いたくなった父と母に、「ガイダンスのあとどこかに出かけていて、連絡ございません…」という私。両親には私の子育てこそ謎だらけだと言う。

私だって落ち込むことは結構ある。出産後に大病を2回しているが、落ち込んでいられないから必死に這い上がったし、手術も治療も自分だけで選んだ。体当たりで子供にぶつかっていくためには泣く時間すらなかった。何しろ子供、結構な個性派だからね。

 

母のうつ病との闘いを反面教師にして気力を振り絞っていたことも否定しない。だから幼稚園ママノイローゼになったことも病気であっけなく吹っ飛んだ。何故って?倒れて担ぎ込まれた病院にいたのは、怪我をしていた子供の同級生とそのママだった。初期処置段階で子供を待たせていた時に、お昼を食べさせてくれて、私が終わるまで待っていてくれた。あの3日間がなかったら…人を誰も信じられなくなっていただろうと今、振り返る。