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***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

「家=父以外の関係性を作れるように祈るばかりです」

日曜・月曜とケアマネさん・デイケアの方にFAXを入れて、契約の日を決めてもらった。私の休みの日の夕方に決まったと、デイケアの方に電話をして分かった。時差出勤にしたら電車が遅れて電話どころではなかったためだ。

「ただ…書類が多いんです。その場で書いていただくと相当時間がかかるので、分かる範囲で構いません。当日書いて持参してくださいませんか?」依存があるはずはない。帰宅して某SNSで「役所がらみは書類が多いわよね」と友達に慰められた。

 

下に連絡を入れたのが仕事帰りの電車(これまた遅延)待ちの間。仕事の空き時間に電話をして、遅くなると明日通院日の両親が寝てしまうので、断りを入れて電話を入れておいた。下のレスがタイトルの通りで、これを少し考えてみた。

 

結婚した翌年に私が生まれているのだが、恐らく母にとっては家=子供(どちらも余り、身体が丈夫ではなく気弱な方だった幼少期)であった。私が結婚をし、2年後に下が就職で他県に配属された。(本社でも寮じゃないと通いきれなかった)その数か月後に体調(このブログにおける体調は心の問題も含む)を崩しだした。父は現役で仕事をしていた。パートは退職をするように雇用側から言われたので、本当に家=父になった。半年に1回は入院するようになった理由は、父から離れた時間が日中にうまく作れなかったからだろう。それほどバリバリ動く性格ではないので、私の子供が2歳くらいまでは月に1日は実家に連れて行って母と遊んでもらうようにしていたが、それでも体調はよくはならなかった。

 

今更…76歳になって友達?そういうものじゃないと思っている。心の叫びの本質を子供たちが今回のことで知った。遅すぎたと叱られることは重々承知である。だからこそ今、私たちができることを母へ尽そうと思い、私自身も自分のことを見つめる機会となった。

 

デイケアに行けばまず、人と接することに疲れるだろう。それほどブランクがあるのだけれど、元々母は接客が好きな人で、私たちがまだ家に居る頃こんな夢を語っていた。

”小さなお弁当屋さんをやりたいなぁ”

今は大手やコンビニで賄うこともできるし、当時は資金もなく、父も嫌がっただろう。家庭の味を提供できる空間が、料理自慢の母に得られなかったことが(仕事という観点でも)悔やまれる。