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***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

デイサービス1回目。

11月の土曜日から開始したいという母の希望で、昨日行ってきた。子供たちは「どうなんだろう…。続くのかな」とそれぞれに気にかけて、気になって電話を入れていた。先に下が電話を入れたようで、普段より早く帰宅した私が追ってかけた感じになる。

父が出て「今下からかかってきた。大丈夫よ」この大丈夫って父の感覚なので、「お母さん出られる?」と電話口に呼んでもらい、話を聞いていた。

 

以下、母の話やら感想。

すいとんを作ったのね。具材はもうあるからすいとんだけなんだけど、皆さんに私が「こうやってください」と言ってしまったのよ。出しゃばっちゃったなと思ってしまったのね。午後には折り紙もやったんだけど、つい手を出してしまいそうになって、「これはいけない。途中までにしよう」と決めて、お手伝いはなるべく控えめにしたわ。

 

帰りに「〇さん(母)が今日初めて来てくださいました」とデイサービスの方がお話をしてくださったの。そしたら皆さんが「また来週も来てくださいね」ってね…(涙ぐみだした)そこで思い出したのよ。私を妹のようにしてくれたWさんを…。

 

Wさんというのは、母が不遇な青春時代を乗り越えるために実家に預けられたのだが、その時の使用人さんである。小さな割烹旅館だったので、料理だけではなくいわゆる宿屋の仕事もやっていた。Wさんはシングルマザーで子供がいて、母と9歳違いで、彼は母を「姉さん」と呼ぶし、私たちきょうだいには本当によくしてくれたWさん親子だった。父も息子さんには仕事を紹介したり、色々と気を配っていた。

 

実家の両親は結構気配りをする人たちだなと改めて思う。

お節介かもしれないけど、その人の生活の役に立てるようにしてきた。

一番リスペクトできるのはここだ。

 

私が小学生の時、Wさんが脳血管障害で夜間、倒れて救急搬送されるという事件が起こった。携帯どころかポケベルもない時代の話で、一報は息子さんが電話で知らせてくれたが、「8件目で入院できた」と電話が来たのが翌日の朝だった。長時間の手術をして(合併症があったそうだ)母は取り急ぎ必要なものを家から持っていき、家からかなり遠い病院で1泊した。入院が長期になったので私たちもお見舞いに何回か行った記憶がある。

 

Wさんはその後、認知症になっていった。タバコを吸うのだが指先にはやけどの跡。コンビニのおにぎりが自分でまけないという手先の不自由さが出てきた。火事を起こされては困るということで特養を待っていたが、その引受先の病院で寝たきりのまま、70代で生涯を終えた。

この時母はうつ病が一番ひどかった時期。もうそれほど長く生きられないと息子さんから連絡を受け、両親と私でWさんを見舞ったのだが、泣くだけだった。通夜・葬儀の時も母は寝ようとはせず、その後、心療内科に再入院したのを覚えている。

 

そんなWさんを母はデイサービスで思い出した。麻痺こそ残らなかったが、脳血管障害を2回やっているので、あれだけ料理を作った人が何もできなくなった。隔週でWさんの様子を見に行っていたらしい。「おそうめんだけだったんだけど、それでも喜んでくれたのよね」と、声を詰まらせて話をしていた。

 

暗くなる雰囲気をぶち破るのが私の今のやり方なので、「お母さん。きっと利用者さんが”新しい職員さんが来た”と思ってらっしゃるかもしれないよ」と言ってみた。母ができることはお節介かどうか…それは施設の人がやんわりと教えてくれるだろう。ただ彼女は人の言葉を受け止める時に余計な勘繰りを入れる癖がある。そのあとで「そうだね。Wさんにしてあげたことをまた、していると思えばいいじゃないの」と、そこにいるにはやや若い母に声をかけた。「そうね…今日は疲れたわ。もう寝る。ありがとう」とりあえず無事に初日を終えた。

 

下からは母との電話を切ったら(親子だな)すぐにメールが来た。「もともと新しい環境に慣れるまでには相当の時間がかかる人だから、見守りましょう」と。

母の眼の色が少しでも変わってくれたら…と子供たちは願い、また来週に託す。