***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

【過去の話】若年性認知症と身内が診断された時の話。

数年前の話だ。姻戚の連れ合い経由で我が家に「Kさんが救急搬送された」という連絡があった。Kさん(当時60代前半)は大量吐血をして倒れていたところを出かけていた配偶者が見つけて、ドクターヘリで大きな病院へ搬送された。

内視鏡検査の必要性があったのだが、点滴を自分で抜いてしまう。度々なので病院で認知症検査をしたところ、このように言われたそうだ。

 

ansinkaigo.jp

 

要介護5と介護認定がおりた。それを聞いた配偶者は絶望し、眠剤を大量に飲んだりして精神的に参ってしまった。それで親戚が2人ついての内視鏡検査を何とか受けた。胃がんだった。それ以上は何もできないため、Kさんは救急病院から転院を促された。配偶者はKさんからの暴力をDVと信じて疑わなかったので、青天の霹靂だったと述懐していた。(でもしっかり保険には入院した日に入っていたが…)

 

この夫婦、早期退職と恩給がついているので55歳くらいからは悠々自適で飲み歩いていた。

 

この時のキーパーソンの1番が配偶者・2番がKさんの弟となっていた。配偶者は精神的に不安定となり、やっていることは常軌を逸したことばかりになっていた。Kさんの弟は仕事と母親の介護をしているので、近くはない病院へちょいちょいとは行けない。そう、配偶者はKさんから逃げようと画策を始めたのだ。

2人のキーパーソン同士が一発触発の状態になり、ケアマネさんが頭を抱えてしまった。そこで3番目にあがったのが夫・つまり我が家にケアマネさんから連絡が来るようになった。また配偶者とKさんの弟も我が家に電話を寄越すため、パートから帰宅すると私は電話の前から離れられない状態。

 

どうにかしてくれ~!子供の晩御飯が作れない!

 

そんなこんなで3か月が過ぎた頃、配偶者から電話が来た。「お墓を買った。亡くなったらそこに入れる。もう永代使用料を全額払ったので、家を売却して故郷に帰る」

追ってKさんの弟から「家を売るというので兄の私物を引き取れと言われたが断った。墓の話は聞いている。一言あればうちの墓所に入れたのに。帰ればいい!」

 

もはや遺恨試合になっている。入院しているKさんは抑制帯のまま寝ているというのに…。そんな状態で年を越した。配偶者がここまでやった理由は”離婚”への道づくりである。成年後見人制度を使うことまで調べていたらしい。

その月にKさんは脳梗塞を起こし、意識がない状態が続いていたそうだ。配偶者はこのあたりから姻戚に連絡を一切寄越さなくなった。また病院からも配偶者への連絡は「時々暴言をはくので」Kさんの弟を先にしていたそうだ。(入院費用は配偶者が払っていた)

 

Kさんの命の火が消えたのは、夫が休みの日の朝だった。「危篤だ」と連絡をくれたのはKさんの弟で、たまたま夫と私は内科に行く日で、事情を話して夫を先に診察してもらい、車で病院へと向かった。私も1時間遅れで病院へ電車で向かって、葬儀社がKさんを引き取りに来る寸前で会うことができた。

実は誰も間に合わなかった。それほどあっけなく旅立ってしまったKさん。最期に「やっと自由になりましたね」と、答えるわけのない彼に声をかけて泣いた。

 

葬儀の時も「お金は出します」で、いわゆる家族葬だったのだが、流石にお坊さんを呼ばないということにKさんの弟が不快感を露わにし「こっちが出すからせめてお坊さんに拝んでもらって欲しい」と注文を付けた。配偶者は「分かりました」と了承した。Kさんにはもう1人、遠くにきょうだいがいて、その夫婦も駆けつけたが、いきさつを後で聞いて「何だかね…」と話していた。

葬儀・火葬を終えて墓所に納骨するという余りにも速攻の行動に姻族一同唖然とした。まだお骨が温かいので「明日、ご予約の墓所に納骨いたします」と説明された。ここまで来ると誰も何も言えなくなってしまった。今までの人の最期に関わる問題で驚かされてばかりの一件だった。

 

いきなり若年性認知症で要介護5と言われたら誰もが戸惑い、悲観する。兆候は何となくあったのだが、暴力がDVと思っていたことと、Kさんが検診を受けず、病院も嫌ったので結果、このように進んだ形での発見となった。現実を受け止めきれるわけはないけれど、夫がたまたま出会ったKさんの「見識違い」の様子を早く伝えていたら対応が違ったのだろうか?それとも配偶者が離婚をするきっかけとなったのだろうか?