***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

父が担当医に叱られた日があった。

今日は精神科の通院日なのだが、父だけが薬を貰いに行き、母は耳鼻科へ行き、父が追いかけて合流したと先ほど、電話で話をした。相当疲れたらしく、私が送った書類を開ける暇もなく、明日も耳鼻科だそうでもう寝る支度をしているようだった。

耳鼻科はバスを乗り継いで行ける。遠い昔、その先に我が家は住んでいたことがあるので、父も勇気を出して熱発していた母を耳鼻科に「公共交通機関で1人で」行かせたと聞いた。父はバスと電車を何回も乗り継いで精神科から耳鼻科へと回っていた。

 

そういう時に娘を頼ればいいのに…火曜日は休みなのに…。今日は夫も休みだったのだよ。

 

代打で担当医に話をする父はどう、母のことを伝えたのだろう。鼻のことになると不定愁訴がひどいのだが、流石に耳鼻科通いは伝えただろうが、「大丈夫です」という感じで話をしていなかっただろうか。ちょっと気になっている。

 

先日、母が小声で言っていた言葉を記す。私も下も気にしていたことだったのだ。

精神科での診察のある日。担当医は母の目をじっと見ているそうだ。父があれこれと話すことを母の目が「違うんです」と訴えていることもあっただろう。

 

 

 

kanade15.hatenablog.com

 

 

主治医はどうやら見抜いていたらしい。言う時期を考えておられたのだろう。父は自己主張が強い人間なのである意味癖のある人だ。

 

「ご主人。奥さんがどれだけ苦しんでいるか分かりますか?今は向き合ってあげてください」

 

父が解放されたい時があるのは私も下も本当に分かっている。

少しずつ快方に向かっていると父は思い込んでいる。でも私や下が電話をするとちょっと違うことを言うし、日曜日は泣き出し、毒づいていたのだ。

 

62歳で嘱託を終えた後は殆どゲートボールや町内会に参加してしばしば出かけていた。その頃は母もかかっていた精神科クリニックとの医師は相性が良かったのだが、14年外来通院をしていて主治医が変わったりしたりすれば、心を預けている患者は「今までと違う話」に対して疑念や抵抗を抱く。介護認定を出した医師とは本当に合わなかったらしい。「認知症じゃない」と断言しておきながら、「認知症」と書類に書いたから要介護2だったわけだ。

 

子育てに追われ、病気の治療と観察を受けていた私に対しては両親は余り電話をかけてくることはなかった。孫は部活や入試もあったが、高校の帰りに途中下車して「今実家にいる。お父さんに迎えに来てもらいたい」と、本を山ほど買ってもらい、それを母は苦笑しながらも楽しみにしていた。

 

「あの子は忙しいの?お小遣いあるのかしら?声を聞きたいわ」に答えられなかった私の後悔。

 

父はいつでも治ると思っているし、私たちも冬を乗り切れば(或いは梅雨時)大丈夫になると信じて過ごしてきたが、老いがもたらす病気の変容までは考えていなかった。

 

高齢者のうつの孤独を埋める人は家族やよく出入りしている人たちなんだと知る機会があった。

仕事先にしばしば来る高齢の患者さんの主訴はいつも同じである。家族もそれを分かっているので「行っても治らないのよ」と患者さんを説得するらしいが、長くは続かない。

受付で立ち話をするよりは中で座ってもらい、等身大の目線で話を聞き、対症療法で凌ぐことが、確かに医療費の無駄遣いかもしれないが、それが患者さんの心の治療にもなっている。

 

主治医が諫めたもう1つの理由は、母に対して「仲良くしなさいよ」という言葉は父に対しても願うう言葉で、父が母から言葉を奪って話すのではなく、母の口から話ができるように(言い方は悪いけれど)ちょいとおとなしくしなさいよなのではないかと思っている。

配偶者と実子では違う。父は母が言いだした言葉を遮ることが多い。「お前はいいから」と。私と下は、母が話しかけた時は全ての会話を止めて「うん。続けて」と言う。今でこそすらすら喋るけれど、電話口に出してもらわない限り母は子供たちと話ができない。

 

このことを書きながら、歳の離れた夫との会話を改めて反省する。機関銃のように物事を話す時がある私。夫の愚痴を今は聞ける状態になるように心がけなくてはと自戒を込めて今日は終わろう。