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***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

前に進もうとする思いと触れ合い。

目下冬季うつ状態の母。三が日が明けてから電話を1回かけた。曜日を変えたデイサービスに行く前日だった。

期待と不安が織り交じるけれど「やっぱり私も外に出たいのよ」と言っていた。但し状態がよくないので横にならせてもらうことが多いかもしれないとも。デイサービスにはソファーがあるので休むことも可能だし、お昼寝タイムもある。行けただろうか?と先週は風邪をひいたので寝込んでいた私。父に聞いても本音が出てこないし、流石にデイに行った日は疲労困憊だそうなので、日曜日の朝に電話をかけようと思っている。

 

下が年明けて電話をした時、母の弟分と従兄(この2人は同い年)に会いたいと涙ぐんで話したそうだ。姉弟のように育ったこと・叔父がどれだけ心砕いてくれたか。そんなことを寒くなると、生まれ育った東北を思い出すのだろうか。もてなしができない今、もう1度語り合いたいのだろう。

 

どうしても過去との無限ループを繰り返してしまうので、自分なりに考えたのが新しい環境での人との関わり合い。母が家から1人で出かけることは滅多にない(鍵をなくす可能性があるので、父と駅までは一緒に行く)ため、もう近所の方と話をする機会もないからこそ、前に向くために必死なのだ。

 

父の意図が図りかねるのだが、母には「自分から電話をかけるな」と申し渡している。だから2人の子供は”電話をかけないと”実家の様子が分からない。面倒だと父は「お母さんは風呂」と言って切ってしまう。電話は確かに相手の自由を奪うものではあるが、それよりも父は。母が電話先の方に対して言うことにせん妄が現れた時の弁明をしたくないという気持ちを感じ取れる。

 

前に向くだけがが母のためになるのだろうか?

 

昨年から考えていたことなのだが、仕事で関わってきた方とのやりとりを思い出すたびに、前を向くにも限度があるのではないだろうか。健康ならまだしも、喘息もちの母には…と。

その方は不定愁訴がいつもある。治療することはほとんどなかったのだが、繰り返しのことに対して話し相手のようになるのがその方にとってのつかの間の平穏だったのかもしれない。

 

現在、月に最低2日は実家に私が行くのだが、父の用事の方がややこしいので、母と話をすることができない。夫と休みが重なれば(彼はシフト休)車で行けるが耳鼻科通院との兼ね合いもある。

夫と話をして母の屈託が軽くなればそれもまたよし。本当に時間は紡ぎださないとと改めて思う。カレンダーを見てため息をついて…それでも夕方に実家に行くことができる日を探している。