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***心模様***

心の病を持った妻とそれを介護していく夫・そして2人の子供たちの介護へむけての取り組みなどを綴っています。また、周りの同世代の介護・高齢者のお話も時々呟いていきます。

【スピンオフ】よそ様を探るなと強く言った理由。

よそさまのご家庭を覗くんじゃない!と親を諫めた私だが、命を絶った方は小学生の頃から複雑な事情を抱えて生きていたことを思い起こしている。

 

kanade15.hatenablog.com

 

前回の記事を引用する。自死した方は40代の未婚者だった。実家の近くに転居してきたのが小学生の時だった。ご家族でご挨拶に来てくださったのだが、1年後くらいに母親が家を出て他の男性との生活を始め、親が離婚ということになったと母から聞いた。どちらかというと派手な感じのお母さんの印象が強かった。上のお子さんはある程度分かっていたようだが、その方(仮称Aさんとしておく)には相当のショックだったらしい。転居しても友達がなかなかできなかったようで、不登校になりだしたのは恐らく小学校6年生くらいだと思う。そして中学校には1日も行かなかったと聞いている。その頃は近所の人が声をかけると走って逃げたり、クラスメイトが担任に命じられて迎えに朝、行くと、父親が申し訳なさそうに「今日もダメみたい」と頭をさげていた。そのうちクラスメイトも部活の朝練やらで寄ること自体が難しくなり、Aさんは周りが高校に行く頃になってやっと、外に顔を出し、父親の仕事を手伝っていたそうだ。

 

わが母も下がいじめで不登校になった経緯もあり(この詳細を聞いたのは何と、4回目のケアプランの時だった)時代を振り返っていた。中学校がマンモスなので、下の時は12クラスあったそうだ。教室には限りがある。9クラスだった私ですら、3年生の時はいわゆる特別教室が私のクラスだった。だからクラスを増やしてもすし詰めだっただろう。

 

小学校もそういえばクラスが増えていた頃。どちらにも言えることは「学区が広すぎて手が回らない担任教師の現状」ではないかと思う。下のいじめが分かったのがいじめ開始から1年後という状況だった。だからAさんのところに担任が訪問している時間があったとは思えない。

 

母が心を痛めていたのは「自分は継母に異母弟の子守を頼まれ嫌とは言えずに中学を休んだり、貧しくてお弁当がなかったことがあったけれど、あの子たちは食べるに困ることはないのに、何故、苦しまなくてはいけないのだろう」ということだった。

 

実はその後、私や下が家を出てからの話だが、Aさんの母親は復縁をして数十年ぶりに戻ってきた。親子の間に何があったのか・どんな関係になっていたのかは知る由もない。母が昨夏にせん妄状態を起こす物語の中で、Aさんの母親が毎回登場していたのは、もしかしたら引っ越してきてから離婚・そして復縁というAさんの母親の生き方が母に何かをもたらしたのだろうか。

 

だからこそ、家の中でAさんのことを詮索するのはやめて欲しかった。母は精神疾患である。何がきっかけで悪くなるかを両親とも相変わらず分かってくれないもどかしさを感じている。

 

遠くへ自分で行くことを選んで実行してしまったAさんの幼い時の顔を思い出す。合掌。