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***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

父のライフワークの”見守り”を母は認めている。

島根県で子供の見守りをしておられた方が輪禍に会い亡くなったという報道を見て、私も夫も父のことを思い浮かべた。

かれこれ何年やっているのだろう?10年?朝6時半くらいに交差点に立ち、「おはよう!」と生徒たちに声をかけ、時には「おじさん。忘れ物しちゃった」という生徒に「家に電話しなよ」と携帯を差し出すらしい。忘れ物をしたら正直アウト。だから電話をかけて親御さんが学校まで届けるように話をさせるらしい。学区が広い地区であり、見通しがいい直線道路では、大型車が結構飛ばして交差点を曲がるところに父は立っている。

 

だから父は早寝早起きで日々を過ごす。昨年の梅雨前から母がせん妄状態になった時は夜も眠れない状態で相当参ったらしい。母が昼夜逆転していたので見守りだけは1学期のうちは(実家の方は3学期制)無事終わった。今は3学期で毎朝交差点に立ってまた、子供たちに声をかける。休んだのは父自身が手術を受けた前後の数か月だった。

 

父が休んでいることをお子さんから聞いた私の友達がメールを寄越した。「お父さん、具合悪いの?」シークレットにしていたのだが手術も終わったので、「実は耳の手術を受けて今は自宅にいる」とレスしたところ、お子さんとお友達が実家に来てくれて、手作りのお菓子を頂いて両親は感涙したということもあった。(この話を今月の会議の際にすると、母は忘れていた…)

 

ゲートボールだけは嫌がったが、見守りに関しては母は何も言わない。父が始めた頃から母はうつ病だったので朝が遅い。父はパン食なので、ヤクルト・バナナ・ダブルソフトがあれば見守りに行ける。前の日に洋服を決めてあげるのは母の仕事だった。

 

父には父の生き方もあることを母が許容できるか?

私たちはせめて父には生徒の見守りだけはさせてあげたいと思った。

だから一時、母の施設入所も考えたのだ。

 

理解できなかったのはその通学路を使っていた私。道路と歩道だけがあるところを下を連れて、長じては友達と”複数で”登下校するように言われた。我が家の子供が通った小学校にはこういった見守りは当時、なかった。その代わりに当番制で指定された日・場所に交差点に保護者が立つというシステムだったので、見守りということ自体が「何それ?」だったのだ。

 

子供と接することが好きな父のライフワークはなかなか毎日できることではない。恐らく輪禍に遭われた方も、また同じように見守りをする高齢者の方も好きだから続けられることだ。それが命がけとなってしまうなんて…余りにも辛い。かつて普通自動車2種免許を保有していた父はさぞ、悔しいだろうと推測する。