***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

姑の生涯(介護)とお別れの時の話。

姑は東日本大震災の翌年に95歳で天寿を全うした。1年以上…期間は定かではないが、もしかしたら2年入院をしていたのかもしれない。医師から「いつ逝ってもおかしくない」と言われて1年間、持ちこたえた。その間に義兄は葬儀の手配をしていたと夫から聞いている。

 

記憶をたどると、80歳になって義兄一家と同居していた姑は、自宅といくつかの不動産を売却して結婚以来長く住んでいた、彼女の夫や夭逝した息子の墓所から離れたところへ転居した。それまでは高齢者でも歩いて行ける墓所まで毎日、水をあげたり手入れをしていた。

引っ越したところは戸建てと畑が広がる場所で、80歳を超えた姑には散歩も危ないし、何より迷子になるのが家族には怖いことで、恐らく家の周りを歩くだけだっただろう。舅の墓参は息子たちに頼まないと行けないが、それぞれに仕事があり、年に数回行くか、檀家だったためお坊さんが来る時に話をする程度になった。

 

転居した時に介護保険を申請していたようで、要介護2。週に2回の入浴サービスを受けていた。それが数年続いたが、歳を重ねるにつれ認知症が進み、在宅介護が諸般の事情で困難になり、身体も弱ってきたので入院という運びになったと思われる。

この地域は在宅介護が多いところなのだが、姑がなぜ困難だったと(推測だが)いう理由は、義兄夫婦の相次ぐ病気による入院がある。介護する側が交代で入退院をしていた時期だった。

それに加えて姑の認知症が進み、目が離せなくなったとなれば、特養なり老健を探すということになるが、そういった施設が格段に少なく、食事を自分で摂取することが難しくなったことも、元々病院に通っていたから長期入院となったのではないだろうか。入院までの間は、入浴サービス以外は自宅で過ごす。鍵は持たない・食事は置いてあるものを食べていたのだろう。

 

我が家から姑のいるところまでは電車で行くには気合いを入れなくてはならない。多分乗り継ぎが悪ければ2時間近くかかる。車の方がまだ便利だが、夫は現役サラリーマン。休みの関係で(介護する家族が留守の時は家に入れなかった)年に1回くらいしか母親には会えない。きょうだいの1人は自営業。高速を飛ばして車で来られなくもなかったのだが、姑が亡くなる前に目を悪くして運転をやめてしまった。話し相手になるはずの子供たちのことも姑は段々と忘れていき、寝たきり状態へと移行していった。その時点で90歳を超えていた。

 

住む場所が変わることが高齢者の心身に影響することは姑の件でよく分かったけれど、借金を清算するためには親が建てた(譲り受けた)家を手放さなくては義兄たちはいつまでも借金を清算できない。故郷を後にする辛さは義兄たちもあっただろう。

 

姑の葬儀に来てくださったのは夫の同僚や友達が殆どだった。義兄の友人関係までは夫も私も知る由はないが、夫はとても感謝していた。孫たちが受付や接待をする中で、私は夫の関係者に「遠路から有難うございます」と頭を下げていた。それくらいしか不肖の嫁にはできることがなかったのだ。

 

おばあさん。見えますか?あなたの見送りに息子の友人がたくさん来てくれましたよ。

 

高野病院を支援する会