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***心模様***

気分障害と軽度認知障害を持つ妻とそれを介護していく夫・そして2人の子供たちの介護へむけての取り組みなどを綴っています。また、周りの同世代の介護・高齢者のお話も時々呟いていきます。

震災の時は冷静に対応できた母。

東日本大震災からもうじき6年を迎えようとしている。我が家と両親は震度5強であったが、家のものが落ちてきたくらいだったのだが、下は被災し、1年後に転居している。

地震直後に下の連れ合いが実家に電話をしてくれて、「うちは2人とも大丈夫です」と家電からかけて来て、それ以降は暫く連絡が取れなかった。父と私が下の携帯に入れても繋がらなかった。

たまたま繋がった時にこう、私に告げた。

 

「電話でしか連絡できないうちより大変な被災者の方のために、回線を無駄にしてはいけない」

「うちは今の家で何とか暮らしているから大丈夫。メールはいつか来るだろうから、用件はメールにして」

 

下は年度末で相当忙しかった。2週間ほど経ってから、実家に電話を寄越し、母が入用なものを聞いた。

缶詰やら保存がきく食品と水と言われて、私は水を送ると母に言い、ヤマト運輸の水を送った。お願いしたドライバーさんが「いつつくか分かりませんが、大切にお送りします」と請け負ってくださった。

 

父の姪が別のところで被災していたため、実家は2人の救援に動いていた。この時我が家は高校入学を控えた子供の制服が入学式に来るかどうかを焦っていたりして、両親は「孫の方を優先しなさい」と言ってくれた。

 

実は下が過労と心労で震災後のGWに入院してしまった。この時の母の寂しさの声を今でも覚えている。寂しいよりは悔しくてもどかしかったのだろう。

「行きたいけれど邪魔になるわよね…親戚の家に行くのも(こちらも被災した)申し訳ないし」

下の連れ合いの親族が亡くなるということも重なり、そちらを優先させての入院だった。

 

父よりもやはり、女性の視線で・かつ母親だから下の好みは一番分かっているから、送るものも的を得ていたとのちに下が述懐している。(姉ちゃんはただひたすら水だった)

そう。細かいところに気づくのが母の素晴らしいところなのだ。大雑把な父と私はしばしば叱られたっけ。

 

いや。内心は本当にこちらに帰ってきて欲しいと思っていただろう。異動願いは毎年出していたが、空きがなかった。そして異動できる年齢を過ぎて、東北での生活となった。

一度だけ転居前の下の家に行ったことがあるそうだ。それが父の運転での最後の旅行。今はとても…東京駅まで行くことすら難しい状態だ。

 

帰ってくることを想定していたような実家のドアやサッシの高さを見て、両親の思いをしみじみ感じている。