***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

父との曖昧なる確執。

もうじき父は80歳になる。リーダーシップを取ることが好きで、運動は野球に始まり、一時はゴルフ会員権を買って、夫とその周りの人を連れて行く。車は何があっても自分で運転する人だった。

家庭の中でも同じで、自分が何もかも決める絶対権利を行使してきた。

 

思えば母が最初に”燃え尽き症候群”と言われて心療内科のある病院で入退院を繰り返していた時に、私と下が何度も父に「精神科じゃないと無理だと思う」と進言してきた。

 

seseragi-mentalclinic.com

 

入院する前に出るのが食欲不振。当初は泣いたりすることはなかったが、身体症状よりも精神症状が強くなってきたからだ。

当人たちが(特に父が)精神科という言葉を受け入れない。母は10年近く苦しんできたから転院したいと申し出て、その時にいつも入院していた病院に心療内科の常勤医師がいなくなったので、バイトの医師が紹介してくれたのが、他のところにクリニックを持つ精神科だった。

「2ヶ月で治します」と担当の医師に言われたそうだ。その通りで(入院日数の問題もあったのだろうか?)退院し、自宅に比較的近いクリニックに通い始めた。

 

その1年後。父と私が電話で話をしている時に、「ちょっと気持ち悪いから切る」と電話を切った。

5分経ってかけ直すと母がうろたえている様子がすぐに分かった。「戻しちゃって…どうしよう」「救急車を呼びなさい!お母さんは携帯を持って出るんだよ」と伝え、実際に救急車を呼ぶところまで母はやって、搬送に時間がかかったのだが(市をまたいだため)病院へは私がおっつけ向かった。

 

処置室の前でぽつんと座っていた母に声をかけた。「パパと孫は?」「置いてきたよ。孫は寝る時間だからね」と、処置の様子と医師の話を私が聞き、父は数日の入院となった。保証人として夫がいつもなっていたため(この病院は専業主婦は保証人はNGだった)印鑑持参でいつも駆けつける体制にしている。

母も私も帰宅してから下(当時は都内在住)に連絡をして、「あくまでも自分は母のフォローとして行く」とのことだったので、そのあとは下に任せた。結局脱水だったのだが、3日目に帰宅してまた、外を歩くと言い出すのを我慢させるのが下の役目だった。

 

父が体調を崩すと頼る人がいないと思い込んでしまって母はパニックになる。

そういう母を父は守ろうと健康に留意していた。それが母が好きではないゲートボールだった。母は水中ウォーキングを本当は父としたかったのだろう。でも父は余り水が好きではないから断ったのだと思う。

 

あくまでも俺様主義だね、お父さん。

 

母の介護という現実において、これも繰り返すが父は理解できない。

今までとは違う、自分は老いたと思っていることはいくつもあるのに、母は老いではなくうつだと頑張るが、老年期うつ病だから前とは違うのだ。

説明したって分かるわけはないし、介護サービスの件では何度も説明して、未だ分かっていないこともある。

 

 

kanade15.hatenablog.com

 

実はこの時、母の写真付きマイナンバーカードを申請していなかったため買えなかった。

あれから半年。再度申請して取りに行くのは本人(母)じゃないと駄目なので、今月中に必要書類を揃えて市役所に母を連れて行くと、しつこく聞く私に反発心丸出しで怒鳴っていた。

ケアマネさんに良い話ばかりをふりまこうとしている父。それを見抜いている私とケアマネさん。「それは嘘だ!」と怒る母。不協和音の四重奏になってしまうことも、ケアプラン会議の際はしばしば起こる。

 

もしかして、未だ父は受け入れていないんだろうか?介護サービスを。

そして手続した私にそこはかとなく命じられることは不快でしかないのか?

 

父の一向に直らない嫌な癖がある。

夫の車を、或いは駅まで歩く私を、当人たちより先に外に出て帰りを案じる。

「それねえ…お客さんが来た時に箒を使うか塩をまくレベルだと思うんだけど?」

自分を乱す娘と、巻き込まれている夫。夫は何も言わないけれど、私は相当傷ついている。

だから足が向かないのだ。母だけだったらどれだけ救われるか…。