***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。スピンオフとして私の趣味の写真などを載せていきます。

ケアマネさんからの電話。

母の介護区分の件諸々で、出先で電話を受けた。

「要介護2で今までと同じだそうです」

要支援だったら(今の母の状態では)区分変更をかけるつもりだったので、その意味ではひとつ落ち着いた感がある。

入浴への不安を言い出したことが決めてだったのか、主治医の意見書の内容は分からないけれど、気分障害と行動のアンバランスが少なくとも同居している(主たる介護者の)父には相当な負担になっているので、週に1回は同じデイサービスを継続できることに安堵した。

 

下にメールで伝えると、「喜んでいいのか複雑ですね。でも変わらなかったんですね」

確かにそうなのだ。要介護状態であることは代えがたい現実である。進むも止まるも私たちにも…そう、母にも分からないことなのだ。

 

デイサービスから毎月、写真が届く。その写真はプランターで育てている作物をかごに入れて持っている母の姿だった。何回見ても、余りにも顔が私に似ていて思わず吹いた。

というのは、母は元々メガネをかけていて(私もかけているが)10年余り前に白内障の手術をしてからはメガネを要しなくなった。先日は「サングラスが欲しいわねえ」と、古いメガネを出して作り変えようと迷っていたっけ。

 

「すっぴんの私じゃないの、この顔は!!!」

私の化粧は余りにも手抜きなので、誰もがほぼ、すっぴんだと思っているし、オフの日までメイクはしない主義だから、実家の近所の方が「お姉ちゃんとお母さん、顔が似てきたね」と仰ることに大きくうなずく証明にもなった。

 

 

kanade15.hatenablog.com

 

介護は昨年の9月から実際にケアマネさんを入れて始まった。かれこれ1年になろうとしている。

子供は当時大学3年生で上げ膳据え膳。授業だ・サークルだであてにはならない(あてにもしていなかったけれど)状態。下宿はこの時していなかったため、夫も巻き込んでの介護生活がスタートした。

年末年始は母が冬季うつになり、今年の1月~2月は仕事を一時減らした。パート繋ぎのフリーターである私には減収になったが、今は「そういう時も出てくる」ことを諦められるようになった。考え方を変えることを柔軟にできる環境下で仕事ができることに感謝する日々でもあった。

 

私が知りえなかった母の生い立ちをせん妄という形で突きつけられるところから始まった介護。

在宅をサポートするには不十分であるかもしれない。それが仕事をしながら親を介護していく40代~50代の介護の限界である。

また、今は親世代が独居(死別・離婚)であり、子世代も同様であることが多いことは行政は理解しているのだろうかと思い始めている。主たる働き手(納税者)の必死さを本当に分かっているのかな、行政は。