***心模様***

後期高齢者になった両親の老々介護・それを支えていくこどもたちのお話が主です。たまに医療ネタがあります。

80歳からできること。

父が母のデイサービスを何としても週に1日にしたい理由は恐らく、病院へ行くことを理由にして、母に納得させているのだろう。母がデイサービスから帰ってきて「何してた?」と聞く時や、私が実家に出向くときはいつも、玄関をくぐって近いリビングに横になって大音量のTVが迎えてくれる。

いつも…思えば私が幼い時からこんな感じだった。左耳が聞こえないので音量が大きいのは子供ながらに分かっていたが、悪循環になってしまう。

聞いて欲しいから大声でいう→父は相手が怒っていると勘違いする→私たちが叱られる。

変な構図が出来上がり、それは歳をそれぞれに重ねていくほどにレベルアップしてきた。

また、言ったことを忘れるので、下もそうなのだが文書を残すことにした。その文書をなくされたらもうお手上げなのだが、何度も何度も手紙や葉書を送って周知して貰っている。

 

このように頑固で耳が遠い人が、これから自分だけで何かできるかという問いを投げかけてきた。

元々やっていたゲートボールに戻る気はないので、新規に探すかというには体力もないだろう。

そこで父が出してきたものは…写真を撮ることだった。

 

 

 

これよりずっと古いものだが、父はデジタル一眼レフを持っている。その昔は旅行に行くと親戚や母を撮り、風景もまた然り。孫が泊まりに行けばやたらと撮っていた。その代わりWebで公開することは全く考えていない(PCはあるがネットは引いていない)ので、プリントアウトして配って楽しむだけだ。

 

歩きながら四季を撮るのはいいけれど、そこに母を同行するのは無理だ。歩調が違うし、私も写真を趣味としているので、友達と行ってもあちらとこちらに分かれている。一度、夫にコンデジを持たせて歩いたことがあったが、「これは何?」「〇〇(花の名前)だけど…うるさいっ!」一応私の骨折ギブス&松葉杖外したよ♡のリハビリに付き合って怒鳴られるのは余りにも気の毒なので、カメラはやめたという経緯もある。

 

デイサービスに行っている時に少し歩いて行ける撮影スポットはきっとある。でもやはり父は今は母と共にいることで、かつてのワンマン親父で自分の都合を優先していた頃を埋めようとしているのだろう。

本当は母は嫌なのだ。写真を撮って配っていることも自分に向いていないと以前、ぼやいていた。

「自腹で印刷した写真を貰って、誰が喜ぶのかしらね」とまで言い切った。それを言ったらお母さん、アウトだよと言いかけたがやめた。

双方で歩み寄らなければ、今の生活は変わらない。それを伝える術を私は未だに持っていない。

 

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父が教えてくれたカメラの楽しさは、一眼レフを買ってもらった13歳の時から今もなお、私のライフワークとして続いている。